ざいにち発コリアン社会
民族教育に愛情アボジを誇りに
製紙原料問屋(株)玉川商店 林春樹社長
積み上げられた新聞紙は1トン単位でプレス機にかける | チャリティーゴルフコンペの準備会合の場で。ゴルフコンペの後、都内の朝鮮初級学校入学生らに制服がプレゼントされた |
東京・練馬区の製紙原料問屋、(株)玉川商店は、城北地区(豊島、板橋、練馬、北、文京)などで回収した古新聞、雑誌などを選別・加工して各製紙会社に納入している。在日2世で2代目社長の林春樹さん(36)は、アボジの故林男植さんが築いた商店を守り続ける傍ら、青商会の活動、民族教育の発展のために、情熱を注いでいる。林さんをつき動かしているのは、アボジの「遺志」だ。
9年前に後継ぐ 玉川商店は、創業から30年目を迎える。林さんはアボジが67歳で他界した9年前に後を継いだ。 長男だったため、幼い頃から「後を継げ」と呪文のように言われ続けてきた。それを、林さんは素直に受け止めた。中高生の頃から、バイト代わりに紙の仕分け作業などを手伝った。 しかし、当時の林さんはいわゆる「悪ガキ」。勉学に励んだ記憶はない。だから、「勉強できない分、仕事を3倍しろ」とアボジからよく言われたという。 林さんは、東京朝鮮中高級学校卒業と同時に「後継ぎ」の看板をしょって玉川商店に「就職」。以来、アボジの仕事に対する真面目さ、民族教育に傾ける愛情を誇りに思い続けてきた。 「アボジの名を汚すようなことはしたくない」―この思いが、いつしか心のなかで重しとなっていった。 アボジの影響 「仕事が趣味みたいな人だった」とは、林さんのアボジに対する印象である。晩年には、林さんの意志を確認するかのように、「仕事は好きでなきゃできないぞ」と何度も繰り返していたという。だから、ではないが、林さんは当時も今も、この仕事に大きな誇りを持っている。 一方でアボジは、1世同胞が苦心して建てたウリハッキョをなにがあってもつぶさせはしないと、地元の朝鮮学校に対し、財政面でのバックアップに努めてきた。林さんは、そんなアボジの姿、純粋さを尊敬した。 アボジの死後はその思いを受け継ぎ、母校である東京中高の新校舎建設(98年)、東京朝鮮第3初級学校改築(95年)事業などに尽力した。また、それ以外にも、アボジと同じように、機会あるたびに地元の朝鮮学校の運営に熱意を傾けている。「オモニの後押しもあるんですよ」とは、本人の弁だ。 林さんには現在、3人の子どもがいるが、全員、朝鮮学校に通わせている。自分の国の言葉と文化に誇りを持ってほしいと強く願ってのことだ。「ウリマルをしっかり学び、民族心を育める場所はウリハッキョ以外にない」。 また、民族教育の支援に力を入れる青商会に賛同し、練馬青商会の結成(97年)以来、その活動にも携わってきた。現在は副会長を務め、昨年、東京都青商会の理事にも選ばれた。 練馬支部主催のイベントなどに顔を出すようにし、ほかの同胞にも参加を呼びかけるなど、地域の同胞間のネットワークを広げる活動にも一役かっている。 社会見学に 玉川商店には、自主回収と区の清掃局による「資源ゴミ回収」で月に平均1500トンの古新聞、雑誌、ダンボール、古布などが集まる。それらを仕分けし、プレス機で圧縮したものを日本製紙など4社の製紙会社に搬入・販売している。 古紙は、トイレットペーパーや再生紙に変わる。 実は、アボジの時代の頃と比べ回収率は約1.5倍伸びたのだが、古紙単価が暴落し売り上げは約3分の1に減少している。しかし、「社会的関心が高まっているリサイクル業に携わり、地域に貢献できることは喜ばしい」と、林さんは少しも落胆していない。 自宅が商店の裏にあるため、子どもたちにとって林さんの仕事はとても身近に感じられるようだ。「社会のためになるいい仕事をしているんだね」と昔の林さんと同じく、学校帰りに仕分け作業を手伝ってくれることもしばしばあるとか。 現在の希望は、リサイクルの社会学習の一環として、朝鮮学校の児童・生徒らに同商店を見学してもらうことだという。(李賢順記者) |