本社記者平壌レポート

21世紀は統一の世紀

市民が語る新世代の風
「苦難の行軍」に終止符、障害除かれ未来志向に


 最近、平壌で工場、企業所の幹部や労働者に「仕事の抱負」について聞くと「21世紀にふさわしい…」、「新たな時代の要求に沿って…」といったフレーズから始まる答えが返ってくる。世紀を超えた時、人々は思考のスイッチを切り替えたようだ。古い慣例を見直し、すべてを一新させよう。以前と同じように発言したり行動したりすれば、「時代の落伍者」の烙印を押され、批判されかねない雰囲気があった。

「峠は越えた」

 「過去の姿のまま生きるのではなく、新時代にふさわしい姿へと絶え間なく変ぼうを遂げるべきだ」(金正日総書記)今年の1月、マスコミは金総書記の21世紀ビジョンのキーワードが「転変」と「創造」であると紹介した。

 一般の労働者も同じく未来を展望した。ピョンヤン市内の居酒屋で会った40代の労働者は「苦難の行軍」と呼ばれた1990年代の試練の時を振り返り、その体験を「想い出」として語っていた。

 「トウモロコシが混ざった飯を食わなきゃならん時もありましたよ。幼い娘が嫌がりましてね。彼女には明日を信じて今日を強く生きろと説教しました。まあ、近頃は娘も成長したんでしょう、アボジが自分に何を伝えたかったのか理解するようになったと言ってくれますよ」

 酒場に集まる労働者たちの話によると工場の生産体制が正常化し、生活も少しずつ改善されつつあるという。「峠は越えた」というのが彼らの意見だ。酒を酌み交わしながらの話題はもっぱら技術革新やIT(情報技術)の活用など、21世紀にふさわしい工場の姿に関するものであった。

 ちなみに、この居酒屋の人気メニューは鶏の足のから揚げと内臓の串焼き。最新設備を備えた養鶏場が新たに建設され、市内の食堂に定期的に鶏肉の供給が出来るようになった。現在、老朽化した養鶏場の補修工事も行われており、完成すれば一般家庭にも鶏肉を供給することになるという。

 新世紀が始まったからといって国の経済状況が一変するわけではない。「トウモロコシ飯」が象徴する苦しい食料事情も根本的に解決したとは言えない。

 しかし人々の表情に暗い影はない。4月の晴れた日、人民学校の学生たちが遠足を楽しむ光景を見た。弁当を広げると、幼い子供が食べきれないくらいの沢山のおかずが箱に詰められていた。親が精一杯努力したのであろう。苦しいながらも生活にゆとりを持たせようとする人々の前向きな姿勢が目立ってきた。

国政レベルでも

 朝鮮は昨年10月、「苦難の行軍」の勝利を公式に宣言した。それまで朝鮮は敵対国の圧力と封鎖に対抗して自国の社会制度を守り抜こうとしたからこそ苦しい試練を余儀なくされてきたのであった。そのような状況に終止符を打ったとする政治判断が一般市民の日常生活に与えたインパクトは計り知れない。目の前に立ちはだかっていた最大の障害物が取り除かれたと考えれば、誰もが自然と未来志向になる。

 5月、EU代表団が平壌を訪問した。朝鮮外務省の高官は「わが国の外交史に新たな1ページを刻む歴史的事件」と語り、朝中、朝ロ関係と対比させ、国際政治における朝鮮―EU関係の重要性を強調していた。

 21世紀の朝鮮は、北東アジアという枠を越え、より広く世界的な範囲で交流を行い、影響力を行使すべきだという視点が外交関係者の中に浸透している。

 「米国が朝鮮を『ならず者国家』だと見なせば、他の国々も盲目的に追随するような状況ではないんですよ」EU代表団の会見場所となるホテルの従業員は、取材に訪れた国内の記者たちに向かって自らの情勢分析を披露していた。

 ブッシュ政権発足後、米国の対北強硬路線が6.15共同宣言の履行と南北朝鮮の和解の動きにブレーキをかけた。取材現場で一緒になる国内の記者たちは、次のように分析した。

 「米国に対して幻想を抱いてはならないが、彼らに物事をあるがままに見て判断する能力さえあるのなら、対話の方法を選択するしかないと気付くはずだ」

 記者たちは「苦難の行軍」の総括を前提に21世紀の朝米関係を展望した。朝米の対決は20世紀の暮れにすでに決着がついた。最初から繰り返しても同じ結果を招くだけだと彼らは説明した。

 現在、当局者レベルの北南会談は中断されたままであるが、人々はその原因が「米国の妨害」にあり、北南関係が6.15共同宣言以前の状況に戻ることはないと考えている。ある北南会談関係者は情勢の好転を見越して、すでに次の展開を準備していた。

 「21世紀は統一の世紀です。われわれだって過去の失敗を繰り返したりしません。足踏みだって許されない、ただ前進あるのみです」
(金志永記者)

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