差別への怒り、生への希求
全国に220余人同胞ハンセン病患者
民族、人間の尊厳求めたたかう/二重の苦しみ の中で
「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」委員長の金奉玉さん(左)。金順先さん(右)は金さんを「同胞患者の星」と慕う。(東京・東村山市の多摩全生園で) | 厚生省(当時)に対し、年金差別の是正を求める同胞患者ら。(1961年頃、「生きぬいた証に」から) |
本紙既報(4、11日付5面「ハンセン病訴訟と戦後補償問題」)のように、ハンセン病患者に対し、誤解と偏見にもとづく強制隔離政策を90年にわたって続け、改めなかった日本政府の過失責任を認める画期的な国家賠償請求訴訟判決が先月、熊本地裁で下された。現在、日本各地に13ある国立療養所の入所者だけでも232人(今年2月末現在)の在日同胞患者・元患者が存在する。同胞ハンセン病患者たちは、解放直後から一貫して「2重の差別」に苦しんできた。
過酷、劣悪な環境 同胞ハンセン病患者の存在は、日本の植民地支配を抜きに考えられない。 1910年に朝鮮を不法に占領した日本は、朝鮮のあらゆる資源を収奪。600万人を超えた朝鮮人強制連行者は炭鉱、鉱山、軍需工場で過酷な労働を強いられた。また、多くの朝鮮人が生きるすべを求めて日本や中国に渡り、土建、炭鉱、紡績業など生活、労働条件が劣悪な環境で働いた。 ハンセン病は貧困病と言われる。その伝染率は微弱なものだが、過労、栄養失調時に発病しやすい。過酷な労働、劣悪な生活を強いられた朝鮮人の発病率は、朝鮮国内外を問わず日本人に比べて高かった。 法務研修所編「在日朝鮮人処遇の推移と現状」(1955年)によると、55年3月末現在、在日朝鮮人登録に対するハンセン病療養所収容者の比率は0.11%。日本人の人口に対する収容者数の比率0.011%の10倍だった。 東京・東村山市の国立ハンセン病療養所、多摩全生園で40年以上を過ごし、現在「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」委員長を務める金奉玉さん(75)は43年、生まれ育った大阪で「徴用」され、広島・呉の海軍工廠で強制労働をさせられた。まもなくハンセン病であることが明らかになり、「徴用」から解除。隔離を恐れて九州へ逃げるが、大阪に戻った1週間後に見つかり、草津の療養所に強制収容された。 「警察官が家にやってきて、手錠をかけて連行して行った。母に会いたいと頼んだが無理だった」。34時間飲まず食わずのまま療養所へ。母親が雨の中をはだしで協和会の指導員の所へ飛んでいき、「息子を助けてくれ」と頼んでいたことは、のちに知った。 国会前での座り込み 在日朝鮮人は療養所内でも、民族差別に苦しんだ。同室を嫌がられたり、何か問題が起こると朝鮮人のせいにされた。そのため多くが日本名で生活をした。 民族的偏見とハンセン病に対する偏見という2重の差別の中でも、同胞ハンセン病患者は差別に怒り、たたかい、民族、人間としての尊厳を守り続けてきた。 年金差別に反対する運動はその象徴だ。1960年から1級障害者と認定されたハンセン病患者には福祉年金が支給されるようになったが、朝鮮人患者は適用から除外された。同胞患者らは、60年5月に「在日朝鮮人・韓国人ハンセン氏病患者同盟」(当時)を結成し、厚生省(当時)に対して差別是正を求めて行く。 金さんも運動の真っただ中にいた。 「夏と冬、全国から威勢のいい朝鮮人が集まってきては、厚生省の前で4泊5日で座り込みをした。朝鮮人患者は療養所の中でも一握りの存在。日本政府から見れば虫けらのような存在だったろう。だからこそ、日本の社会制度を人の名に値するものにしようと尊厳をかけてたたかった。のちに総聯中央社会局長を務めた河昌玉さんがよく気にかけてくれ、運動資金も援助してくれた」 1971年度から、同胞患者にも「自用費」(生活費に値するもの)が支給されることになり、療養所入所者としては日本人と同等の権利が保障されるようになった。しかし、格差は残った。在日朝鮮人は国籍条項により、国民年金の受給対象から排除されていたのだ。同盟はその解消に向けて運動を続けた。 朝鮮語も意欲的に学んだ。患者の多くは、若くして日本に渡ってきたため、言葉は話せるが文字が書けなかったり、長年にわたる日本での生活で言葉を忘れてしまっていたからだ。 女性たちはチョゴリに身を包み、チャンゴや朝鮮舞踊などにも親しんだ。多摩全生園には舞踊サークル「アリランの会」があるが、毎年11月に行われる祭りで農楽を披露している。メンバーの1人、金順先さん(74)はチャンゴを叩くと望郷の悲しみがいやされると話す。 数年前には、水害の被害を受けた朝鮮の人びとを支援しようと、全国から100万円の義援金を集めて朝鮮赤十字会に寄付した。弱い者、困っている者に向ける目は温かく、行動は早かった。 あまりにも遅すぎた 各地にある13の国立療養所には232人の同胞がおり、親ぼく団体をつくっている。これらの団体をまとめる「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」は朝鮮半島、同胞社会のニュースをまとめた出版物も発行している。 多摩全生園には現在、44人の同胞がいる。70歳以上の1世がほとんだ。 療養所に隔離された同胞の多くはハンセン病に対する社会の偏見から家族にも会えず、懐かしい故郷の地も踏めなかった。無念の思いを胸に亡くなった同胞は数知れない。その思いを見つめ続けて来た金さんは、「今回の日本政府の措置はあまりにも遅すぎた」と目をふせた。 「隔離政策の影にいる在日朝鮮人患者の苦悩、それを生み出した朝鮮の植民地支配に日本政府はいまだ目を向けていない。それが果たされる日まで、日本の心は浄化したとは言えない」(金さん) ハンセン病問題とは 正当性なき強制隔離/非人間的な生活強いる らい菌による慢性の細菌感染症。感染力・発病力ともにきわめて弱く遺伝もせず、この病気そのもので死に至ることはない。ただし、発病すると末梢神経と皮膚が侵され、感覚異常、皮膚のただれ、視力障害などが起こる。とくに手や顔に変形が現れることから、古くから患者とその家族は差別と偏見の対象となってきた。 こうした偏見のもと、日本政府は1907年にらい予防法を制定し、以来、患者を強制的に隔離して非人間的な生活を強いる政策を取ってきた。病気の「撲滅」を口実に、断種や堕胎などの人権侵害行為も最近まで行われてきた。 戦後、特効薬プロミンの出現やその後の治療法の発達により、ハンセン病は早期発見と治療により障害を残すことなく外来治療で完治できる病気となった。56年以降、国際会議などでも強制隔離が否定され、その流れが世界的なものとなったにもかかわらず、日本政府による正当性なき隔離政策は、96年のらい予防法廃止まで続けられた。 同法が廃止されても社会的な偏見、差別は容易に解消されるものではなく、家族・親族と断絶させられ生きてきた患者・元患者(後遺症はあるものの、ほとんど50年代までに治癒)の多くは現在も、日本各地に15ある療養所内(国立−13、私立−2)に暮らしている。その数約4400人にのぼる。同胞は国立療養所に232人。 熊本地裁の判決 日本政府の責任を認定/謝罪と補償、解決へ 1996年、患者らの強制隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたものの、90年にもわたって患者の人権を不当に侵害し続けた日本政府の責任は不問にされ、患者・元患者らに対する回復措置は取られなかった。こうした状況に対し、熊本、鹿児島両県の国立療養所入所者ら13人は98年7月、隔離政策による人権侵害に対する国家賠償を求めて熊本地裁に提訴した。以降、東京、岡山両地裁を含めて提訴が相つぎ、原告総数は現在まで1702人にのぼっている。 そして5月11日、これら3地裁で起こされている国家賠償訴訟で初めての判決が熊本地裁で下された。判決は「遅くとも60年以降には隔離の必要性は失われ、過度に人権を侵害したらい予防法の違憲性は明らかだった」として、同法の早期見直しを怠った旧厚生省と国会議員の責任を全面的に認め、総額18億2380万円の支払いを国に命じた。 日本政府は当初控訴の方針だったが、原告と世論の強い声に押されてこれを断念。熊本地裁判決は確定することになった。 6月7日の衆院本会議、8日の参院本会議では、長年の隔離政策への反省と謝罪を表明し、患者・元患者に対する速やかな名誉回復、救済のための立法措置を講じ、全面的な解決を急ぐことをうたった国会決議を採択した。すべての患者・元患者が対象となる補償金給付法が近く制定される。 参考図書・資料 「生きて、ふたたび」/国本衛(李衛)著 「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」の委員長も務めた著者が、何重もの苦しみを味わってきた同胞患者の無念を問う。著者は、東京地裁に国家賠償請求訴訟を起こした原告の1人。熊本地裁判決への控訴断念を求めた、小泉首相との交渉にも参加している。(1800円+税、毎日新聞社) 「はじめに差別があった」/清瀬・教育ってなんだろう会編 在日朝鮮人の年金差別是正に取り組む同胞患者、李衛さんの学習会を開いた東京・清瀬の市民団体が、李さんの発言や参加者の感想をまとめたもの。(1500円+税、現代企画社) 「生きぬいた証に」/立教大学山田ゼミ編 民族的偏見とハンセン病に対する偏見という2重の苦難を背負いながらも、人間として、民族としての誇るべき遺産を築いた東京・多摩全生園の朝鮮人患者の証言記録。(2680円+税、緑蔭書房) 「遙かなる故郷」/村松武司著 詩人でもある著者が自らの全存在を賭して問う、70年代の評論20編を収録。著者は、日本人が近代化の中で切り落としてきたものの象徴としてらい(ハンセン病)と朝鮮をとらえ、その2つを自分自身の中心として切り結ぶ。(1500円+税、皓星社) ハンセン病資料館 ハンセン病問題に尽くした人たちの業績と、差別と偏見、終身隔離制度とたたかってきた療養所入所者たちの歴史を後世に残し、正しい理解を広める目的で建てられた。資料室には4000冊以上の関連書籍・関係資料があり、「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」が発行してきた出版物も所蔵。開館時間は午後1時〜4時。休館日は毎週月、金曜日、祝祭日。東京都東村山市青葉町4−1−13、TEL 042・396・2909 |