ハンセン病訴訟勝利と戦後補償問題(下)−山田昭次
二重の偏見に苦しんだ朝鮮人患者
「ライは貧困病であり、植民地病」
今回のハンセン病元患者たちの勝訴と政府の控訴断念をめぐる論議の中で気になるのは、在日朝鮮人・「韓国」人元患者の存在が少しも論議されていないことである。だが、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会の事務局長として国本衛氏こと李衛氏が訴訟の先頭に立っていたのだ。日本人は彼の訴えに耳を傾けて欲しい。昨年2月5日に開催された李氏の著書「生きて、ふたたび 隔離55年―ハンセン病者半生の記録」(毎日新聞社、2000年)の出版記念会の際に、李氏は「原告団への参加を求められた時に、自分は朝鮮人なのでちゅうちょしました」と述べられた。それを乗り越えさせたのは、「あなたは何も悪いことをしてないでしょう」という日本人である奥さんの励ましだったという。朝鮮人元患者が日本国家を相手として訴訟をすれば、この病気に対する偏見から来る反発に加えて、さらに民族的偏見から来る反発が加わるだろう。李氏夫妻には民族を超えた結びつきがつくられている一方、李氏に訴訟参加をちゅうちょさせるほどに民族的偏見が力を持っているのが、日本の現実である。在日朝鮮人・「韓国」人元患者は二重の偏見を受けて生きてきた。
李氏は上記の著書でこの病は貧困病であり、植民地病だという。この病は感染したからと言って発病するのではない。貧困のために栄養不足や過労に陥っている場合に発病する。従って帝国主義国から厳しい収奪を受けた植民地にこの患者が多かった。 ◇ ◇ 1955年3月末現在、在日朝鮮人、「韓国」人総登録数に対するハンセン病国立療養所入所者の比は0.11%で、日本人総人口に対する入所者の比0.011%の10倍である。「韓国」総人口に対する1949年5月の推定患者数の比は2.1%である(法務研修所編「在日朝鮮人の処遇の推移と現状」1955年)。とすると、「韓国」の総人口に対する患者の比は日本のそれに対する191倍にあたる。群馬県草津町のハンセン病療養所栗生楽泉園の朝鮮人・「韓国」人の文集「トラジの詩」(同編集委員改編、皓星社、1987年)に収められた聞き書き「心やさしき人々」には、「向こう(韓国―山田注)の人はライのことをよく知っています。帰るわけにはいかない」、「韓国の人の方が、日本人よりこの病気をもっと嫌っています」という声が記されている。この病気の患者が極めて多かった植民地朝鮮で朝鮮人がこの病に日本人以上に恐怖を持ったのもやむを得ない。しかしこのために朝鮮人患者は日本人患者以上にこの病気に対する偏見に苦しまなければならなかった。日本の植民地支配がこのような深刻な事態を生み出したことを認識する日本人が何人いるのだろうか。 在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟の調査によれば、2001年2月28日現在、国立療養所入所者の数は232名である。彼らは全入所者約4400人に比べれば少数だが、日本の朝鮮支配の遺産としての歴史的意味は極めて重い。5月25日に閣議決定された政府声明は、ハンセン病元患者の人権を侵害したことへの国会の立法不作為の法的責任を認定し、かつ結果的に除斥期間(20年の賠償請求期限)を過ぎた賠償請求権を認めた熊本地裁判決は、認めがたいというものだった。国会の立法不作為の責任を追及し、除斥規定を適用しないことを求めたのは、「韓国」人、中国人などのアジア・太平洋戦争犠牲者とその遺族の戦後補償訴訟だった。政府声明は司法に対し戦後補償訴訟の原告の要求を認めないように圧力をかけたものであろう。このような態度を示した小泉政権に2重の偏見からの解放を求める朝鮮人、「韓国」人療養所入所者の願いに答えられるとはとうてい思われない。国家の責任を認めさせたハンセン病元患者の闘いを継承して、侵略と植民地支配の犠牲者に対する日本国家の謝罪と補償を達成できるかどうか、私たち日本人は問われている。 |