創立45周年、朝鮮大学校

総聯結成1年後、2年制7学科でスタート

同胞社会に貢献する卒業生

新校舎の竣工式(59年6月13日) 今年度の新入生たち(4月10日の入学式で)

 16、17日に創立45周年記念イベントを行う朝鮮大学校(東京・小平市、南時雨学長)は、どのような過程を経て設立されたのか。

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 朝鮮解放(1945年8月15日)後まもなく、いまの朝鮮学校の母体である国語講習所が日本各地に設立された。日本の植民地支配下で奪われた言葉を取り戻し、いずれ帰国して新祖国建設に寄与できる人材を育てたいという1世同胞の切実な思いの反映だった。

 46年10月、各地に525校の初等学園、4校の中学校、10校の青年学校(高校)が開校され、4万2000余人の児童・生徒を受け入れるまでに発展した。

 そして53年初旬頃から、同胞学生を対象とする大学校設立構想が持ち上がる。祖国と同胞社会を担う人材の育成、とくに朝鮮学校の教員養成が急務であったからだ。朝鮮学校卒業生が日本の大学に進学できなかったこともあった。

 同年10月、教員育成学校である中央朝鮮師範学校(のちに朝鮮師範専門学校と改称)が設立され、56年3月まで運営された。

 55年5月25日の総聯結成大会で師範専門学校を大学校に改編する方向性が打ち出され、同年9月の中央委員会第2回会議で朝鮮大学校創設が正式に決定。10月に同校建設委員会が発足した。

 朝大そのものは翌年の4月10日に設立され、現在の東京朝鮮中高級学校(東京・北区)内に仮校舎が置かれた。教員10余人、学生60余人からなる2年制、7学科のスタートだった。ほぼ時を同じくして、建設委員らは新校舎建設に向け、土地探しにほん走した。

 そんな中、57年10月、祖国から送られてきた教育援助費と奨学金のうち、第2次教育援助費1億51万円と3次、4次援助費から各5000万円が建設費用にあてられることになる。

 その資金で小平市に土地を購入、新校舎が完成し59年6月に移転(全寮制)した。68年4月17日には、数々の妨害をはねのけて6000余人の学者や文化人、280の地方自治体など幅広い世論の支持によって設置認可された。

 創立以来45年、朝大を巣立った学生は約1万2000人。現在も多くの卒業生が総聯各機関、朝鮮学校、出版社、芸術文化団体、同胞企業など様々な分野で活躍している。時代の流れとともに、日本や国際舞台へとその幅は広がっている。

 99年には政治経済学部に法律学科、理工学部に情報処理学科を新設するなど、同胞社会に貢献できる専門家を育成している。

 5月25五、26日に開かれた総聯第19回全体大会報告では、「朝鮮大学校は総聯の人材育成事業において自らが担っている任務をより頼もしく遂行して専門家を系統的に輩出」すべきだと指摘している。
(李賢順記者)

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