取材ノート

日本語の「おり」からの解放


 在日同胞にとってウリマルは、どういう存在なのか――。連載「ウリマルとトンポ社会」で追求したかったテーマだった。しかし取材を通じ、学ぶチャンスに恵まれなかった同胞にとって、ウリマルを話せないことが心の中に影を落としていることに気づいた。

 数年前、都内に住むある同胞学生は、英語を学びにカナダへ留学し、南の同胞留学生と出会う中で言葉の壁にぶつかった。

 彼らに、自分が朝鮮人であることを証明するものはパスポートではなく、言葉、ウリマルだった。しかし、日本の教育を受けた彼はウリマルを話せない。新しい出会いを重ねるたびにいらだちが募っていった。

 しかし、日本に帰ってきた後、彼はこのもどかしさをパワーに変え、ウリマルを精力的に学んだ。その後、朝鮮の近代史研究をライフワークに決めるほど関心は広がっていった。

 アイデンティティーを育む上でウリマルが果たす役割は格別なものがあると思う。言葉は心を耕し、育むからだ。

 しかし、ウリマルを話せない悔しさ、もどかしさを聞くたび、この苦しみは「強いられたもの」と思わざるをえなかった。日本政府が民族教育を制度的に保障していれば、日本の教育現場で同胞の民族的アイデンティティーに配慮する取り組みが真剣に行われていれば、この学生のような、「行き場のない苦しみ」は生まれなかっただろう。

 日本の教育を受けたある在日朝鮮人作家は、自分の思いを母国語で表現できない矛盾、苦しみを吐露しながら、「日本語のおりの中にいる」とある出版物に書いていた。同様の思いを抱く同胞は多いと思う。

 今月、日本学校に学ぶ同胞の子供たちにウリマルを教える青年学校、土曜児童学校が各地で開講される。多くの子供たちに足を運んで欲しい。母国語を獲得することが、自らを「おり」から解き放つ一歩になるからだ。(張慧純記者)

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