地名考−故郷の自然と伝統文化

全羅南道−@湖南地方

1年農業し3年寝て暮らす

司空俊

最南端の莞島

無等山・立石台


 全羅南道は概観的に湖南地方の地続きである。湖南地方とはどこを指すのか。主に2つの説がある。1つは全羅北道の項でも話したが、金堤郡碧骨池以南地方という説、2つ目は錦江の古称が「湖江」で、その以南地方という説だ。

 地形の特徴をみるために地図の上で谷城(コクソン)の玉果(オククワ)から海南半島に直線を引いてみる。直線の西北部の大半は栄山江流域で内浦平野と丘陵地が多く、北方には盧嶺山脈の余脈が延びている。直線の東南部は山岳地帯で、小白山脈とその支脈の間に蟾津(ソムジン)江が流れる。

 南部海岸地帯は河川に沿って、長く狭い海岸平野が見られる。

 小白山脈には白雲山(1218メートル)、尊帝山、智異山(1915メートル)を経て月出山、天馬山、白雅山、無等山(1187メートル)がそびえる。山脈は西南に走っているが、最後には海に至る。このようにして、朝鮮全土にある4200余個の島の内、1990個が集中する、世界でも有数の多島海がつくられている。珍島、莞島、突山島、巨済島、羅老島、黒山島などの島々が散らばっている。海岸線は朝鮮で最長の6874キロメートル。朝鮮全体の3分の1を占める。住民のいる島は426個だ。島だけからなる郡が3個もある。

 盧嶺山脈の末端が残る北西部と、小白山脈が走る地域が山地である。しかし、大部分は低く傾斜も緩やかである。平野は西部、蟾津江沿岸、海岸地方に分布している。羅州平野、全南平野などがその代表である。

 川で有名なのは栄山(ヨンサン)江と蟾津江。栄山江は潭陽(タムヤン)付近から発し、光州川、黄竜江、咸平川などの支流の水を集め、栄山浦を過ぎ多島海に注がれる大河だ。蟾津江は光陽湾に注がれる。

 全羅南道の3分の1を全南平野が占める。花崗岩地帯が準平原化された上に、栄山江が運んだ土砂によって埋められた沖積地だ。

 平均気温は13度以上と暖かく、降水量も1100〜1500ミリメートルと多い。蟾津江河口付近は朝鮮の最多降雨地帯の1つで1600ミリメートル以上降ることもある。西海岸地帯は雪が多い。光州(クワンジュ)付近は年間35日ほど雪が降る。

 木浦(モクポ)付近の海域は寒流と暖流が入れ替わる場所で、このため2ヵ月以上霧が発生する。それ以外は晴天の日が多く、全般的には日照時間が長い。そのため全羅南道は、「1年農業すれば、3年寝て暮らせる」と言われるほど、農業の盛んな地域である。

 温暖多湿な気候は動植物の分布にも影響し、竹林分布は朝鮮全土の70%になり、ツバキなどが茂る。智異山には高山植物が分布する。山林にはイノシシ、鹿、ウサギ、リス、鶴、シラサギ(咸平)が多い。

 全羅道は古くは馬韓、三国時代には百済、新羅の時は後百済の旧地であった。

 李朝時代には全羅道、光南道、全光道と名称を変えた。1895年には全州、南原、羅州、済州の4府に分割され、翌1896年に13道制に改められた時、盧嶺山脈以南が全羅南道になった。1946年には済州島が分離した。

 特産物は竹細工(潭陽)、莞草製品(宝城、咸平、松汀)、真珠(麗水)、竜紋席と花紋席(宝城)、カラムシ(麻の一種 長城、谷城)である。

 名勝古跡としては、山岳美の老姑壇(智異山)、儒達山(木浦)、赤壁(和順)、海岸美の閑麗水道、紅島(黒山島)、梧桐島(麗水)、松広寺、白羊寺がある。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事