地名考−故郷の自然と伝統文化

全羅北道−D高敝、益山

端午の日、徳津公園で洗髪

司空俊

全州の酔香亭 高敝の禅雲寺

 朝鮮は古くから農業が発達していたため、農夫歌が多い。農民は喜び楽しんで歌ったのである。湖南地方にも農夫歌がある。全羅道出身の同胞は、「農夫歌」が「農婦歌」になってしまったと話す。男の働き手が都会に稼ぎに出てしまったからである。古くから、穀倉地帯として有名であったにもかかわらず、大量の労働力が移動する場所に変わり果てたからである。

 高敞(コチャン)地方には、サドン(査頓=姻戚)宅でも嫁の親が食べ物を準備して、舅父母にあいさつに行く男尊女卑の強い風習が残っている。さすがに最近はサドンどうしで会う場合も、どこか景勝地などに出向いて、双方が準備したごちそうなどを持ち寄るようになりつつあるという。

 益山(イクサン)には、太陽の熱で焼けた砂で灸をすえる「砂焼き」の風習がある。婦人の腰痛に効くという。

 全州(チョンジュ)付近には水浴びの風習がある。端午の日に婦人がする。男子禁制である。水浴びをした人には、年間を通じて無病が約束されるという。現在では、旧5月5日(端午の日)に市民たちが徳津公園に集まり、蓮花池で髪を洗う。女性たちは菖蒲を髪に飾る。このように風流を楽しむのである。

 民謡「法聖浦の船歌」は高敞郡の漁夫の歌である。ご存じの同胞もおられるにちがいない。

 /望々洋々たる大海原よ  滄々たる波だよ  オギヤ  オギヤ  オヤオヤ(注・カモメの騒ぐ声)/法聖浦のカモメは  船首を飛び  秋のカモメは  水際に群れて

 オギヤチャ  オギヤチャ

 エヤ  オギヤチャ  オギヤチャ(注・これもカモメの騒ぐやかましい声)/右に行けば  巨岩ある難儀な航路  左回りで行けば  凪の航路/

 巨岩は大岩のこと。先唱、再唱で構成されている楽天的な歌である。

 方言あれこれ

 1、母音の애(エ)と에(エ)の区別がはっきりしない。

 2、여(ヨ)→이(イ)、에(エ)〔별(ピョル=星)→벨(ペル)、빌(ピル)〕

 3、フの口蓋音化

 혀(ヒョ=舌)→쎄(セ)、세뿌닥(セプタク)、힘(ヒム=力)→심(シム)

 4、クの口蓋音化

 길(キル=道)→질(チル)、키(=背)→치(チ)、쳉이(チェンイ)

 5、母音と母音の間のス音は弱くならず、プ音は弱くなる。

 겨울(キョウル=冬)→저실(チョシル)、저슬(チョスル)、가을(カウル=秋)→가실(カシル)、가슬(カスル)、누이(ヌイ=姉)→누이누〔(ヌイヌ)※慶尚道では누부(ヌブ)〕

 6、2音節、3音節の単語のアクセントに特徴が見られる。

 光州  하(ハヌル=空)、개리(ケグリ=蛙)
 麗水  늘、개
 木浦  늘、구리

 7、動詞語句に特徴がある。

 듸(ティ)→새는 샌 듸(セヌン センディ=鳥は鳥でも)
 〜당께(ダンケ=〜だとよ)・당께로(ダンケロ)→한당께(ハンダンケ)、했당게(ヘッタンゲ)、〜어라우(〜オラウ=やったよ)→했어라우(ヘッソラウ)、〜싶다(シプタ=したい・願望)→〜잡다(〜チャプタ)
(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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