朝鮮現代史の証言者
小林和子さんの夫、国正氏死去
朝鮮解放の翌年、金日成主席の自宅で約4ヵ月間、お手伝いとして過ごし、主席や金正淑夫人と温かい交流をした小林和子さん。残念ながら、1989年、60歳で亡くなった。記者は小林さんを取材するために、東京都国立市の自宅に何度も伺ったことがある。その折に和子さんから夫の国正さんを紹介してもらい、懇意にさせて頂いた。端整で、穏やかな人柄は、お茶目で天真らんまんな和子さんをいつも温かく包み込んでいた。和子さんが亡くなった折には、国正さんと生前の和子さんについてしみじみお話を伺ったものである。その国正さんが亡くなったという悲報が届いた。
〇 〇 小林国正さんは長野の銀行家の家に生まれた。和子さんの実家も銀行家であったので、自然と結ばれたと和子さんから聞いたことがあった。国正さんは息子に家業を譲るまではタクシー会社をはじめいくつかの会社を都内で経営した実業家。その夫について和子さんは「私が主人となんで結婚したか分かる?」と聞いたことがあった。「ハンサムなところですか」と言うと、ニッコリして「金日成主席に似てハンサムだから。メガネをかけると本当にそっくりなのよ」と嬉しそうに話してくれたものだ。 何度も足しげく通う記者に40年前、主席の自宅で過ごしていた時、和子さんが書いたザラ紙300枚ほどの貴重な日記を「歴史の参考史料にどうぞ」と差し出してくれたのも、夫妻の好意だった。その史料を祖国の大学の史料館に送って、喜ばれたこともあった。 国正さんは非常に律義で、品性のある人だった。和子さんが亡くなった時に駆けつけた記者に、結婚前の妻の平壌での暮らしについても心からの感謝を口にしていた。「彼女は私と一緒になってからもよく主席とご一家のことを思い出していました。金正淑夫人について、日本に引き揚げて40年たっても本当にあんなに優しい方を見たことがないと懐かしがっておりました。よくして頂いたお陰でこんなに幸せになれたので、いつか2人でお礼にいきましょうね、と口癖のように言っていました」。 〇 〇 朝鮮現代史の貴重な目撃者となった和子さんを愛し、和子さんの体験を心から大切にしていた国正さんだった。今はもう主席も夫人も逝き、和子さんも去り、今度は国正さんも亡くなった。数奇な運命に対峙しながら、静かな歳月を過ごし、主席へ感謝の気持ちを持ち続けていた夫妻のことをいつまでも忘れずにいようと思う。(粉) |