今春、看護士に合格

東京・西新井病院、  高昇永さん

命と向き合う仕事に誇り


 このほど東京・足立区にある西新井病院に勤務する高昇永さん(22)が、看護士として新たな道を歩き始めた。4年前、東京朝高を卒業後、病院に勤務しながら上野高校の通信制と看護高等専修学校で学び、准看護士資格を取得。その後看護専門学校(2年課程)に進み、この春、みごと看護婦国家試験に合格した。

働きながら学んだ4年、支えた母の言葉

男性の参加は不可欠

 女性の職場だった看護職。日本で男性看護士が生まれて久しいが、その数は4%ほどに過ぎない。(厚生労働省調べ=1998年)。同胞社会でもこの分野で活躍している男性は女性に比べるとまだまだ少ないのが実情だろう。しかし、医療・看護の領域は、女性だけで解決できることではなく、もう一方の性(男性)の積極協力・参加は不可欠。昨今、この領域でも男性の専門家が必要とされ、力を発揮することのできる場は確実に広がってきた。

 高さんが看護を志したのは、東京朝鮮第4初中級学校の初級部の頃。「オモニの友達が幼子を抱えながら、必死に病院で働き、看護婦をめざしている姿を見てから」だった。その時芽生えた看護職への憧れと淡い夢。とは言え、中級部、朝高に進んだ頃は、髪にソリを入れたりして、「人並みの朝高生活を満喫していました」。胸の奥底に眠っていた看護職のことを思い出したのは、高2になって、将来のことを具体的に考え始めてからだった。

 「その時に、はつらつとして素敵だなと思えたあの女性の姿が目に浮かんだのです。できれば看護の仕事をして、僕も人の役に立てればいいなと」

 オモニに相談すると「看護士になるというのは、並大抵のことではない。挑戦するからには、最後までやり抜くこと」と釘をさされた。

 朝高を卒業後、病院で働きながら2つの学校で学んでいた頃、オモニのこの言葉が、時としてくじけそうな心を奮い立たせた。

 「職場の環境も良かったです。病院にとっては久しぶりの朝高卒の男子職員ということで、先輩たちがよくめんどうを見てくれました。御飯をごちそうしてくれたり、話を聞いてくれたり。とくに最後の2年間の看護専門学校の勉強は、体力的にも精神的にもギリギリと思えるくらい厳しいものでしたが、それを先輩・同僚たちが温かく見守ってくれました」

`ありがとう、が心の支え

生活全体を手助けしたい

   看護の現場で働きながら、学校に通う4年間。その間、オモニに毎月、生活費を欠かさず渡し、学費も全部自前で賄った。「学生の身と言っても、働いているわけですから、当たり前のことです」とあくまでも自然体。こんな高さんだからこそ、患者たちからも信頼が寄せられているのだろう。

 先日も2年ぶりに会った患者から、「久しぶり」と声をかけられた。

 同胞のお年寄りは、朝鮮語で話したりするだけで、「ホッと安どの表情を浮かべる」と言う。当たり前のことをしているだけなのに「ありがとう」と笑顔で声をかけてくれる人も。患者の何気ない言葉をかみしめて、看護の原点を思う。

 この春、看護士として新たなスタートラインに立ち、心に期するものがある。それは、「看護とは、それぞれの患者の『個性』をしっかりと理解し、向き合って、その人に最も適した看護をしてあげることだ」と厳しく教えてくれた看護学校の恩師の言葉を実践することだ。甘えが許されない、命と向き合う仕事。常にプロとしての意識と情熱が問われる日々でもある。

 「時代が変わっても、生身の人間が相手なのは変わらない。ただ病人を看護するのではなく、生活全体を見て、充実した人生が送れるよう手助けするのが自分の仕事だと思う」

 専門的な知識と深い人間性に裏打ちされた看護をめざしたい、と卒論に書いた。その初心を決して忘れず、前向きに歩いていきたいと高さん。22歳の春の旅立ちを強靭(きょうじん)な意思が支える。
(朴日粉記者)

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