地名考−故郷の自然と伝統文化
慶尚南道−C陜川、密陽、金海
朝鮮八景の1つ、伽耶山
司空俊
陜川は「伽耶山と海印寺の陜川」である。伽耶山(1430メートル)は朝鮮八景の1つで、別名が牛頭山である。山頂には日照りの続く夏でも涸れることのない牛鼻井という泉があることから名付けられたらしい。
いつも口をもぐもぐさせて涎(よだれ)を垂らしている牛のように、いつも泉が湧き出ているという意味である。伽耶山の山麓から400メートルほどの高さに海印寺が位置する。前にもこの欄で紹介したことのある海印寺には、世界最古の人類遺産、木版印刷の八万大蔵経が保存されている。 密陽は三浪津リンゴ、守山スイカや、朝鮮最初の毛織工場が建てられた所である。また、密陽は阿娘(アラン)の古邑とも呼ばれる。400年以上も前、阿娘は官奴のいいなりにならなかったばかりに、彼らの手にかかり無残にも世を去った。貞節を死で守った阿娘は現在も慕われている。娘の名の「阿娘」がなまって歌の「アリラン」になったという。 ここに住む人々は、壬辰倭乱の時、四溟堂松雲大師の救国義行があった忠義の地として、学者や独立家を多く輩出した学風の地、そして阿娘が貞節を守った地として自慢している。 景勝地は嶺南楼、阿娘閣、表忠寺、氷谷と多い。 鎮海は軍港で「鎮海の中に海軍があるのではなく、海軍の中に鎮海がある」といわれている。熊川港は倭館(1423年)があったところで、日本との交流があった。近年、サクラ並木が壮観で、4月中旬頃から各地の人々が観光に訪れるという。李舜臣将軍や独立運動家の金九のゆかりの地である。特産物は昌原の米とトウガラシ、陶磁器の原料の良質の河東カオリンが知られる。 金海は嶺南最大の農業地帯。古代には伽羅国(伽洛国)のうち、最も力のあった地域で、大伽羅、金海伽羅と呼ばれた。金首露王が42年に建国したが、532年新羅に降った。「天孫降臨神話」がある。降臨地が亀旨峰(クジボン)である。古代から日本との交流があり、金海式土器、高い鉄器文化、鉄ていは日本の農耕に大きな影響を与えた。 年配の方のはなし言葉を集めてみると、だいたい次のようである。 1、개구리(ケグリ=蛙)→깨구리(ケグリ)、게(ケ=蟹)→끼(キ) 2、가을(カウル=秋)→가실(カシル)、누이(ヌイ=姉)→누부(ヌブ) 3、길(キル=道)→질(ヂル)、키(キ=箕)→치(チ)、힘(ヒム=力)→심(シム)、혀(ヒョ=舌)→세(セ) 4、요번(ヨボン=この度)→오번(オボン)、차표(チャピョ=切符)→(チャポ) 5、워(ウォ)→어(オ)例(정월
チョンウォル=正月→정얼 チョンオォル)、와(ウァ)→아(ア)例(좌석 チヤァソク=座席→자석
チャソク) |