「日本とは何か」(細野善彦著)をめぐって
シンポ「朝鮮半島と 日本 の関係を捉え返す」

北東アジアの共同体に向け ―今、何をなすべきか

日本の自己批判が必要/高銀
周辺へと広がる歴史を/赤坂
アジアのナショナリズム どう応えるのか/渡辺
一国の相対化を/姜尚中

 歴史の常識を次々と覆し、新しい「日本列島の社会史像」を打ち出している歴史研究者・網野善彦さんの著書「 日本 とは何か」をめぐって、「朝鮮半島と 日本 の関係を捉え返す」シンポジウムが4月20日、東京ビックサイト会議棟で行われた。内外の優れた人文社会科学書を多数出版している藤原書店が学芸総合誌「環」創刊1周年を記念して行われたシンポでは、南朝鮮を代表する詩人・高銀氏、渡辺京二氏(日本思想史)、赤坂憲雄氏(民俗学)、姜尚中氏(政治思想)がパネラーとして参加した(シンポは当初、網野氏と高銀氏による対談形式で進行するはずだったが、網野氏が体調を崩したので、パネルディスカッションとなった)。


 「『日本』とは何か」は「網野史学」の集大成と評されている。それを叩き台にしながら、パネラーたちは日本の過去の歴史と現在の状況をとらえ、今後、日本と朝鮮との豊かな関係を築いていく上で、何をなすべきかを縦横無尽に論じ合った。

 まず、司会の姜尚中氏が次のように述べた。「グローバリゼーションの波がおし寄せている中、自分が住んでいる故郷や風土、自己のアイデンティティーなどがずだずだにされようとしている。そうした時代背景の下で、日本では歴史教科書問題にとどまらず、『なぜ、いま歴史なのか』『われわれは何者なのか』という問題にぶつかっている。国家を中心とした力、ナショナリズムという大きな力のはざまの中で、もまれながらもそれとは違う、人々を結び付けるような歴史がありうるはずだ。その可能性を『日本とは何か』は見いだしていると思う」。

 軍事独裁政権時代から、社会の民主化と統一に向けての詩を多数創作してきた高銀氏は、「私たちが知る以上に、古代社会から海峡を越えて朝鮮半島と日本列島の西部の間では共同体的交流が自然に行われてきた」と述べた後、次のような説明をした。

 「例えば、日本の『娘(むすめ)』は韓国の『머슴애(モスメ)』から伝わった言葉であるという主張がある。韓国ではー(タル=娘)は古代から、その労働力を通じて存在感があった。タルは生活の財産として、農家の머슴|(モスム=作男)にあたる『モスムアイ(子)』と呼ばれたという。『モスム』は男をさしていったにもかかわらず、タルを労働者として扱ったとき、『モスメ』から『ムスメ』へと変わったのではないだろうか」

 そして、済州島も北方大陸と深い関係にあったし、また福岡一帯でも「海」を舞台にして、朝鮮との交流は途絶えることはなかったと指摘した。

 そのうえで、「単一国家の虚像を暴いた『日本とは何か』はフェルナン・ブローデルの『地中海』をほうふつさせる。日本の歴史的良心が生きている熱情の産物だ」と強調した。


 高銀氏は「皇国史観」が横行する昨今の状況について、「国際社会及び世界史の実体を侵害するものだ。自己更新の文化とは異なった野蛮的なものである」と言い切った。

 「植民地時代及び分断時代の朝鮮半島を初めとした中国、沖縄、東南アジアの地域を反映した現代日本の肖像に対する自己批判が要求される。そして、かつて漢字文化圏であった朝鮮半島、中国、日本、ベトナムなどが地球化時代をつくり、ほかの地域との共存を実現していかなければならない」

 赤坂氏は物腰の柔らかい口調で、「国境や国民国家の枠にとらわれない、地球規模での様々な人々の巡り逢いを浮かび上がらせたことに、網野史学の意義がある。これからは中国、韓国などアジア諸国が共有できる歴史を、それも画一的なものではなく、中心から周辺へと広がる歴史を創造していく必要がある」と語った。

 渡辺氏は「高銀さんの発言の中で、ある日本の学者の、韓国と日本が手を組んで中国をこらしめるべきだという言葉が紹介された。それを聞いて、『バカ』な学者がいるものだあと思った。韓国、中国のナショナリズムに日本はどう応えるのか。このままだと、アジアで友を失うことになるだろう」と指摘した。

 「グローバル化に対抗するには、一国の枠組みを相対化し、東アジアの中である種のつながりを持つことが必要だ」(姜尚中氏)という指摘に対して、高銀氏は「今世紀後半には北東アジア共同体が形成されるだろう」と述べ、赤坂氏も「それを可能にするには一国史観を壊すことが急務だ」と強調した。(金英哲記者)

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