在日の歴史、なんでもQ&A
朝高のインターハイ参加問題とは?
高野連が最初に動く/96年から全競技参加に
全国高校サッカー選手権に初出場し健闘した大阪朝高 |
Q 朝鮮高校のインターハイ(全国高校総合体育大会)参加問題とは?
A 去年の12月、大阪朝鮮高級学校サッカー部が朝高史上初めて(「都立」時代の東京朝高の出場を除く)全国高校サッカー選手権大会に出場しました。一昨年のインターハイ出場と共に、初の快挙といえます。 朝鮮学校が全国高校サッカー選手権大会やインターハイに参加が認められるようになったのは90年代に入ってからです。 それまで、朝高はすべての公式試合に出場できませんでした。高体連(全国高等学校体育連盟)が加盟資格を学校教育法第1条にいう「学校」(1条校)に限定し、他の競技団体もこれに倣っていたからです。 朝高の公式試合参加問題は90年5月のある出来事が発端です。大阪朝高女子バレーボール部が、府高体連主催の春季大会の参加を一旦は認められ1次予選を勝ちぬきながら、府高体連から突如「加盟受付は勘違い」と大会出場を拒まれたのです。 これをきっかけに、全国にある12の朝高が地元の高体連へ、校長会が全国高体連へ加盟を要請します。こうして朝高の高体連加盟、全国大会参加を求める世論が高まっていきます。 世論の高まりと権利運動のなかで、最初に動いたのは高野連(日本高等学校野球連盟)。91年3月、「外国人学校の参加に関する特別措置」を決定し、甲子園への道を開きます。 このような動きに押され、高体連は93年5月の理事会で、朝鮮学校を含む各種・専修学校に対しインターハイへの参加を特例として承認。翌年には、はじめて朝鮮高級学校の生徒がインターハイに出場します。 続いて95年、日本サッカー協会が朝高の全国高校サッカー選手権への参加を正式に認めるなど、96年までには高体連の主催するすべての競技大会への参加が可能となりました。 以来、朝高生たちはウェイトリフティングやボクシングなどで好成績を上げています。(金大遠、研究家)=おわり |