新世紀へ−民族教育を歩く

 新しい風


 この春、京都中高の中級部に入学した朴希沙さんは、日本の小学校からの編入生だ。彼女が通った京都市立養正小にはコリアンの子たちが学ぶ民族学級があり、3年生からそこで学んだという。

 「もし民族学級で学んでいなければ、いろんな事に気づかないままで、朝鮮学校へ行こうなんて考えもしなかったと思う」

 そう語る彼女は、日本の小学校で、孤軍奮闘してきた。卒業式では、「日の丸・君が代」に抗議し、着席した。担任の教師とも何度となく話し合った。「侵略の歴史など過去の問題がないがしろにされることが腹立たしかった。嫌でも知らなければいけないことがあるはずなのに。『従軍慰安婦』の問題は、結局取り上げられないままでした」。

 彼女の父親は朝鮮人、母親は日本人。「自分のルーツの半分である朝鮮について、言葉さえ満足にわからないなんて変だ」というのが編入の動機だ。

 日本の学校には、様々な背景を持つコリアンの子どもたちが大勢いる。その数は、ウリハッキョに通う子どもをはるかにしのぐ。彼らが民族に触れる機会は、京都や大阪の民族学級のように自治体が行うものや、各地の総聯が設ける土曜児童教室などがあるが、いずれも大事な民族教育の場だ。そこを中継点にウリハッキョへたどり着くものもいる。

 そうやってやって来た仲間は、新しい風を運んでくる。彼らを知ることは、複雑多様化する同胞社会や日本社会の現実に触れることにつながる。

 もっとたくさんの風が吹くといい。(姜和石記者)

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