読書
眼の探索/暗い予兆見通す視力
「眼の探索」と題する朝日新聞の連載が始まったのは、4年程前。週1回、約1年続いた連載を待ちわびていたのを思い出す。 その当時、日本の状況は新しい日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)とその関連法を通すため、様々な画策が続いていた。国旗・国歌法案をめぐる保守勢力の用意周到な準備、さらに「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張が台頭してきた。一方で、共和国の人工衛星発射を契機に北朝鮮バッシングの世論形成が進んだ。 戦争に傾斜する闇のような得体の知れない状況の中で、「眼の探索」は孤軍奮闘していた。当時、朝日の他の紙面には、辺見氏のような問題意識がほとんどなかった。だからその格差にも驚かされたものだった。外部の筆者がこんなに敏感なのに、何千人もの記者を擁する新聞社がこんなに鈍感なのかと…。 連載から4年経った今、辺見氏の暗い予兆は的中し、鵺(ぬえ)のような全体主義化が密やかに進む。「窒息感をもたらす鵺を、合法的に、かつ、したり顔で形成しているのは、ほかならぬ『私性』も責任もないマスコミ的常識である」との指摘に共感する。 償いのアルケオロジー/その罪にふさわしい償いを 異なる2者間で「償い」というものが成立することは可能なのだろうか。 2つの文化が本質的に異質な償いの、謝罪の、罪の概念をもっている場合、それらの共同体間で生じたことは、一体どのようにして償われるのか。この問いは果たして、お互いの罪、復讐、償い、ゆるしの思想の相互で翻訳が可能なのかどうかという問題を読者に鋭く問いかける作品である。 「歴史修正主義者」たちは元「従軍慰安婦」の証言を信じないと言う。しかしそもそも、その証言を証明する義務はどちらにあるのか。その義務があるのは、「歴史修正主義者」たちの方だ。 被害女性たちの言葉に耳をふさぐ、彼女たちの証言を信じないという人の言葉は、金輪際、アジア諸民族の人たちから信用されない。 被害女性たちの証言に内在する信頼への呼びかけに無条件に応答することが、日本とアジアの歴史的、精神的な平和条約、永遠平和の約束のための絶対的な前提だと筆者は主張する。 「犯した罪を誠実に認め、その罪にふさわしい償いを行うこと」なしに未来を切り開けないと。 韓国のおばちゃんはえらい!/涙と笑い 体当たり奮闘記 本の帯には「ソウルの井戸端で教わった人づきあいの極意!」の文字が書かれていて、思わず手に取って読むと、これが実に面白い。 筆者は日本の特派員の妻。3歳と4歳の子供を抱え、育児、家事もこなし、イラストレーターとしての仕事をし続けるワーキング・ウーマン。そんな彼女が一家で移り住んだソウルでの暮らしを活写する。涙と笑いの体当り奮闘記。 一気に読ませる本書の魅力は、何より生きた言葉で、粋で人生を思いっきり楽しむ南の庶民の暮らしを描いたことであろう。日本人だけで固まり現地の人々とほとんど接触しないまま過ごしたら、体験できなかったことがいっぱい書かれている。 言葉も知らぬまま、にぎやかな横丁のアパートに入居し、子供たちは現地の保育園へ。寒空でのキムチ漬け大特訓。日本のスーパーでは想像できなかった引き売りで買うまるごとの魚や野菜。それをこしらえ、胃袋におさめると「無性にやる気がみなぎってきた」という感想もいい。 ここには楽々と境界を越える女性の逞しさ、何よりも人間の温もりが描かれていた。 あぶない教科書/根強い歴史わい曲を告発 日本の教科書検定制度のもとでは、いろんな教科書があっていいとなっている。歴史教科書も同様だが、それは建て前であって、戦後、自民党政府は一貫して国家統制を強め、戦争の加害事実を書かせないようにしてきた。その検定の是非を問う訴訟を闘ってきたのが家永教科書裁判であり、80年代の教科書問題を経て日本は加害事実を少しずつ記述するようになる。 これに危機感を感じた自民党は「歴史・検討委員会」を設置し、@「大東亜戦争」はアジア解放の戦争A南京大虐殺、「従軍慰安婦」などの加害はでっちあげB新たな教科書を作る国民運動の必要性――などを提言する。これと前後して、右翼保守勢力による巻き返しが沸き起こるのである。つまり「新しい歴史教科書をつくる会」の活動と運動、今回の中学校歴史・公民教科書の検定合格は、偶然に起こったものではなく、日本執権層の一貫した路線の延長線上にあるもので、根は深い。 本書は「つくる会」の実態をことごとく暴露しながら、その深い根を告発する。本書の意図は日本当局の歴史わい曲の歴史を指弾し、是正させることにほかならない。 |