地名考−故郷の自然と伝統文化
慶尚北道−E安東文化
500年以上も伝承する仮面劇
司空俊
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大邱からバスに乗り、邱安道路を利用すると2時間ほどで軍威に着く。東南部に八公山(1192メートル)がそびえ、ほとんどが山岳および丘陵性山地帯である。渭川流域には浸食盆地が開け、米、麦、大豆、麻、綿花、タバコを産するが、主に特産物は王室用のものが多かった。孝令の野菜は味がよいことで有名だ。古蹟は2個所の石窟庵が発見されている。特に第二石窟庵は地上20メートルの絶壁に造られている。492年の建立の軍威三尊石窟である。慶州のものよりも50年ほど以前の700年頃のものといわれる。
高霊は、大邱西南38キロメートルの盆地。伝統的な薬草栽培が有名で、大邱の薬市に出荷されている。500個以上の古墳群、陶窯跡などがある。高霊邑丁谷洞の渓谷で、音楽家の于勒は民族楽器の伽耶琴を製作した。この渓谷は現在、琴谷と称されている。 「善山」は現在、亀尾市に編入されているが「八域志」には「朝鮮人材の半分は嶺南から、また嶺南人材の半分は一善(現在の善山)である」と書かれているほどである。農産物が多く、山水が清らかで、豊かな人情味があることからきているらしい。 安東は市と郡からなる。1962年、安東邑が市に改へんされたとき、「新安東」と名付けられたが住民の反対にあい「安東市」になったいきさつがある。焼酎(45度)と、安東布海松子(まつかさ)が特産物であった。安東布は細麻で織られた夏服用で人気がある。スイカとマッコリの栽培の歴史は古い。 住民は儒教文化の強い地方だという。李重煥は「択里志」で「神が授けてくれた福の地域」、「義理を大事にし、道学を尊重する。この地では洞里(田舎)といえども書を読む声が聞こえ、粗末な衣服をまとい、家に住んでいても道徳と生命について語る」と書いている。かつてはこれを美風良俗といっていたが、今の世代はこれは守るべきものではなく、改めるべきものと受け止めているようである。ある知人は慶州文化が裸像的で、都市的であるとすれば、安東文化は衣冠をまとい、自身を包んだ文化だといった。 観光客で有名なものには安東ダムと河回仮面劇がある。五場(五章)からなっている河回の仮面劇は500年以上も前から伝承されている。登場人物は両班と下人、嫁と妾、おばあさんとおじいさん、獅子舞、白丁屠牛という具合いである。当時の封建社会を風刺したもので、堕落した僧侶、虚勢と形式のみを求める両班に対する嘲笑など、両班階級の勢道と横暴に対する庶民の反感を表現している。 河回には300年以前の建物が残る。安東を起点として安東ダムの建設で水没した文化財を復権・移住した河回民俗村、李退渓(1501〜70年)が朱子学を学んだ陶山書院である。 食べ物では、緑豆粉をトコロテン状にしたチョンポムク、糯米を発酵させた白色の飲み物のシッケ、鮫の串焼きなどが人気の的となっている。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |