春・夏・秋・冬

 「北条時宗」。歴史をわい曲する動きが増すなか、まるで示し合わせたかのように、「神風(台風)」が吹いて「元寇(げんこう)」、すなわち蒙古(モンゴル)軍を撃退したという武将の物語が脚光を浴びている。相次いで書物が刊行され、テレビでも放映中だ

▼蒙古襲来を日本では「文永の役(1274)・弘安の役(81年)」という。しかし、74年の陰暦10月20日は現在の暦の11月19日に当たり、本当に台風だったのか疑わしいとされている。むしろ最近では、元軍が使った船に問題があったのではないかという考え方の方が強い(歴史家・小和田哲男氏)。当時、船を作らされた高麗の民衆たちが思いっきり手抜き工事をしたというのである。そして、もう1つの要因とされているのが高麗の精鋭軍、三別抄(サンビョルチョ)の元軍との交戦である。この抵抗がフビライの日本攻撃に影響を与えた

▼やがて元は中国を征服したのち、中国と高麗から日本遠征軍を進発させたが(弘安の役)、台風にあい失敗に終わった。その後、フビライは死の直前まで何度も日本遠征を計画したが、結局実行されなかった。それは、朝鮮をはじめとしたアジア諸民族のなかで反元運動が起こり、その鎮圧に追われたからである

▼このことについて、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書はいっさいふれていない。台風を「神国」意識に結びつけたり、「日本はよくたたかった」と国家意識を高揚させようとしている

▼「北条時宗」、これも1つの「国民の歴史」の作り方の実例であろう。(舜)

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