つくる会の歴史わい曲教科書、検定合格
文部科学省の検定を通過した「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)の中学校歴史教科書。137ヵ所に検定意見が付され、修正されたものの、日本の植民地支配が朝鮮人民に未曾有の被害を与えた事実にはふたをし、自らの過ちについては、「仕方がなかったこと」と正当化する侵略、植民地支配美化の歴史観はまったく変わっていない。そこには歴史の史実や被害者の視点は見当たらない。自国中心、自分勝手な理論を並び立てているだけだ。修正後の内容を見る。(別表に修正前、修正後の内容 張慧純記者)
まず、アジア諸国に対する侵略戦争。「大東亜戦争」と記述し、「大東亜共栄圏」など日本が戦争目的として掲げたことをそのまま記述し、戦争遂行によってアジア諸国の独立を早めるきっかけになったと正当化している。
朝鮮半島は「大陸から突き付けられている凶器」、「韓国併合」に関して、「欧米列強から支持された」「合法的」などの記述は修正されたものの、十九世紀から朝鮮侵略を計画的に企ててきた事実は覆い隠したままだ。「韓国併合」が朝鮮に対する侵略、植民地支配という本質には一切触れていない。
「韓国併合のあと、日本は朝鮮で鉄道、灌漑の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した」などの記述は、戦後何度も繰り返されてきた日本の政治家の妄言と軌を一にするものだ。
また、自国の被害については具体的な数字をあげて浮き立たせる一方で、アジア諸国に対する加害の事実の記述は極力避けている。
申請本の段階では、強制連行、「従軍慰安婦」、創氏改名、文化財の略奪などアジア諸国に対する人的、物的被害については一切、言及はなかった。
検定で修正が求められ、「徴兵」「徴用」が朝鮮、台湾でも実施されたことに言及せざるをえなくなった。しかし、日本人の被害を並べた後にとってつけたように記述することで、加害責任を希薄化させようと試みている。さらに、国家が計画的に犯した犯罪という視点や、被害実態の記述はない。
例えば、関東大震災時の朝鮮人虐殺(1923年)。「混乱の中で噂が広まり、住民の自警団が朝鮮人・中国人を殺害するという事件がおきた」という具合に、意図的で計画的な国家犯罪という視点が落とされている。
今回「つくる会」は、文部科学省の検定意見に従い、指摘された記述をすべて修正した。
一見、歴史わい曲が是正されたかのような印象があるが、「つくる会」の教科書に一貫して流れる侵略美化、アジア蔑視思想は、いささかの損傷も受けていない。それどころか、検定意見をすべて受け入れることによって、日本政府の「お墨付き」、「免罪符」を得、そのうえで同教科書を全国の教育現場に浸透させようとする計略さえうかがえる。
現行7社も大幅後退/6社が「侵略」削除
「つくる会」の激しい攻撃に自主規制?
他の7社も検定申請したが、アジア諸国に対する加害の記述は大幅に後退している。7社は1997年春から「従軍慰安婦」制度について記述してきたが、今回は4社(東京書籍、大阪書籍、教育出版、日本文教出版)が「従軍慰安婦」「慰安婦」などの用語と説明を削除。他の2社(清水書院、帝国書院)は「非人道的な慰安施設には日本人だけでなく、朝鮮や台湾などの女性もいた」などと国家、軍による強制性をあやふやにする表現に修正した。記述が前進したのは、日本書籍1社だけだった。
また、「侵略」という用語も当初は7社すべてが記載していたが申請の時点で6社(東京書籍、大阪書籍、教育出版、清水書院、帝国書院、日本文教出版)が用語のすべてを削除。清水書院は「近代日本と中国・朝鮮侵略」というタイトルを削除し、大阪書籍は「帝国主義諸国の世界と日本のアジア侵略」というタイトルを「日清・日露の戦争とアジアの情勢」に変更した。
歴史教科書における加害の記述は、90年代に入って不十分ながらも記載されるようになった。しかし、「つくる会」は現行の教科書が「自虐的だ」とし、「従軍慰安婦」などの記述を削除するよう、激しい攻撃を繰り返してきた。今回の各社の「自主規制」はこれらの攻撃と無縁ではなく、今回、日本の歴史教科書は全面的に後退したと言えよう。
「新しい歴史教科書をつくる会」が作成した歴史教科書の修正内容
項目 |
修正前
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修正後 |
歴史的事実 |
韓国併合 |
朝鮮半島は戦略的には重要だが、軍事的には不安定だった。イギリス、アメリカ、ロシアの3国はいずれも支配を狙っていたが、実際に統治を維持するのは困難であると考えていた。自己負担はさけたいが、他の2国のどちらかが統治するのは困るという地域に対し、統治者としての新興国・日本の登場は、3国にとって好都合であった。
は、東アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。ただ、それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた。 |
日本政府は、韓国の併合が、日本の安全と満州の権益を防衛するために必要であると考えた。イギリス、アメリカ、ロシアの3国は、朝鮮半島に影響力を拡大することをたがいに警戒しあっていたので、これに異議を唱えなかった。こうして1910年、日本は韓国内の反対を武力を背景におさえて併合を断行した(韓国併合)。
韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた。
韓国併合のあと、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した。 |
1905年に日本は「乙巳保護条約」を朝鮮に押しつけ外交権を剥奪、10年には、「韓国併合条約」を押しつけ、朝鮮に対する植民地支配を完成させた。
「乙巳保護条約」は日本が朝鮮の皇帝高宗と閣僚を脅迫し、朝鮮皇帝の印章を勝手に盗んで「調印」された。当時、国際法では「国家代表に対する強制」による条約は「法的効果を有しない」とされていたことから、同条約は無効、当然この条約を法的に継承した「韓国併合条約」も無効となり、日本の朝鮮植民地統治は国際法を違反していたことになる。つまり、日本政府には強制連行、「従軍慰安婦」など植民地期間に及ぼした被害に対する謝罪、補償の義務がある。 |
ア
ジ
ア侵略目的 |
日本の戦争目的は、自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、「大東亜共栄圏」を建設することである。
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戦争の当初、日本軍が連合国軍を打ち破ったことは、長い間、欧米の植民地支配のもとにいたアジアの人々を勇気づけた。
日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった。
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朝鮮、台湾、満州を兵たん基地とし、中国本土と東南アジアへの侵略、究極的にはアジア大陸の植民地化 |
人的
・
物的被害 |
アジア諸国に対する人的、物的資源の略奪については一切言及せず(あるとすれば、「戦時下の国民生活」の最後に小さい活字で「日本が戦争で侵攻し、戦場となったアジア諸地域の人々にも大きな被害が出た」、「労働力不足を埋めるため徴用(台湾・朝鮮へも適用された)」という表現だけだ)。 |
【強制連行】
大東亜戦争(太平洋戦争)の戦局が悪化すると、国内の体制はさらに強化された。労働力の不足を埋めるため徴用が行われ、また、中学3年以上の生徒・学生は勤労動員、未婚女性は女子挺身隊として工場で働くことになった。また、大学生や高等専門学校生は徴兵猶予が取り消され、心残りをかかえつつも、祖国を思い出征して行った(学徒出陣)。このような徴用や徴兵などは、植民地でも行われ、朝鮮や台湾の多くの人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。このほかにも、多数の朝鮮人や占領下の中国人が、日本の鉱山などに連れてこられて、きびしい条件のもとで働かされた。
【性奴隷 】
なし
【関東大震災時の朝鮮人虐殺】
1923年9月1日には関東地方で大地震がおこり、東京・横浜などで大きな火災が発生して、約70万戸が被害を受け、死者・行方不明者は10万を越えた(関東大震災)。この混乱の中で、朝鮮人や社会主義者の間に不穏なくわだてがあるとの噂が広まり、住民の自警団などが社会主義者や朝鮮人・中国人を殺害するという事件がおきた。 |
【強制連行】
朝鮮人強制連行者数は朝鮮国内で460万人、日本国内で150万人をそれぞれ越え、合計600万人以上にのぼる。当時の日本政府は、38年に公布された「国家総動員法」に基づいて、「国民徴用令」を翌年の7月に施行し、強制連行を開始した。
また、朝鮮人の戦争動員は、38年の「陸軍特別志願兵令」に始まり、39年の「国民徴用令」に基づく「募集」、「官斡旋」の形で行われ、44年には徴兵制を実施し、中国、東南アジアにも強制連行した。軍人、軍属として連行された朝鮮人の数は、厚生省発表(90年9月)で24万2341人(2万2182人は死亡)。
【性奴隷 】
旧日本軍の性奴隷(「従軍慰安婦」)として強制連行された朝鮮人女性の数は8万から20万人とも言われる。この女性たちは、朝鮮、中国、東南アジアの「慰安所」で性奴隷生活を強いられた。日本はアジア・太平洋地域への戦線拡大につれて、30年代後半から各地に「慰安所」を設置し、朝鮮、中国、東南アジアの女性を性奴隷として駆り出した。
関東大震災時の朝鮮人虐殺
1923年9月1日、関東大震災の発生とともに6000人以上の朝鮮人が虐殺された事件。
日本の内務省が朝鮮人暴動のデマと結びつけて戒厳令を発布、政府が「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマを流し、軍隊が先導し朝鮮人を虐殺した国家犯罪。 |
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