それぞれの四季

名札の季節 c


 名札の季節である。学校でも、企業でも、少し嬉しそうに、少し不安げに、新しい名札を付けた新しい人々をあちこちで見かける。この季節になると、名前にまつわる色々なことを思い出す。高校に入学した申(しん)君は、ある科目の教師に何度も「さる」と呼ばれたそうだ。もちろんウリハッキョではない。高校で同じクラスだった友の名を学校以外の所で大声で呼ぶと、時たま日本の人に叱られた。信愛(シネ)という名だった。知人の妹の名が何かのコンクールの歴代受賞名簿に間違った名で載り、その母が激怒したことがあったそうだ。

 名前にまつわるエピソードは、誰でもひとつくらい思い当たることが多いはずだ。不思議なことに、名前を誉められたときより、否定的に扱われたときのことの方が記憶に強烈に残るようだ。

 ちなみにわたしの名は、早くに亡くなった祖父が付けてくれた。当用漢字でないため通販など利用すると、朴 愛という風に真ん中が空欄で小包が届くことがある。「c」という漢字には「東方の美玉」、「玉の器」という意味がある。祖父の願いと、両親の思いを考えると、申し訳のないような、複雑な思いがふとよぎったりするのも確かだ。でも、やはり間違われたり、空欄にされたりすると、腹が立つ。当たり前のことだが、名前は自分自身なのだ。他人との区別の手だてであり、責任の所在の目印でもある。名前を否定されるということは、自身を全否定されたようなものだ。日本に住むわれわれ朝鮮人にとっては、とりわけ深刻な問題をはらむ。奪われた過去があるから。(朝鮮古典文学専攻)

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