女のシネマ

ブラックボード―背負う人―

暗喩で照射される不条理


 近年、著しい飛躍を続けるアジア映画の中でも、最も注目を集めているイラン映画。

 戦争による爆撃で学校を失ったが、子供たちに読み書きを教えたいと、黒板を背負って村から村へと移動する教師たちがいた。片や戦争によって難民となったクルド人の老人の一団が、失った故郷で余生を送ろうと、病に倒れた仲間を背負ってイラク側へ国境越えをしていた。そして、生きるために、重い密輸物資を背負って国境を渡り歩く少年の一団がいた。

 各々の一団と遭遇して、同行しながら粘り強く読み書きを教える移動教師・サイードとレブアルを通して、厳しい現実の中で困難に生きる人々の生を照射したもの。

 これは1984年、イラン=イラク戦争末期にイラク領内のクルド人の町ハラブチェを襲った悲劇が基になっている。イラクに対する反政府闘争を行ったという理由で、イラク軍は自国内クルド人に対する毒ガス攻撃を決行。数千人が虐殺され、百数十万人が難民となった。イラン・イラク国境地帯のクルディスターンは、歴史的に戦場となってきた所。もともと、ここに居住するクルド人は、大国のエゴによって分割・分断を余儀なくされ、国を持てずにきた悲劇の民族。

 映画は、生存を脅かされ続け、定住できず教育も受けられずに育ち、人生を終えていく人々の現状に視点を当てる。地雷や銃撃の合間を縫って国境を越える人々の前で教育は無力だ。否、教育を受けていない彼らには、知識がないという苦しみすら持てない。しかし、この状況を映画はどこまでも普遍的に描く。黒板は知識、子供は愛情、老人は人間の尊厳という暗喩を通して人生を伝達する。

 そして、最も普遍的なるものに、常に悲劇の代償が加害者側によってあがなわれるのではなく、被害者側の気の遠くなるほどの歳月と犠牲をもって支払われるという不条理がある。新星サミラ・マフマルバフ監督は20歳の女性。85分。(鈴)

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