花あかり人

凛とした生き方に魅かれて

大石 芳野 写真家

「ベトナム凛と」(講談社)じゃアジアを主なフィールドとして仕事をしてきた大石さんの代表作。無名の人々を被写体に20年の歳月をかけて精華である(写真・文光善記者)

 まるで糸を紡ぐような仕事。戦禍の中の女性や子供と向き合い、1人1人の重い歳月にレンズを向け続けた30余年。ベトナムを20年追い続け、このほど出版された写真集「ベトナム凛と」に、今年度の土門拳賞が贈られた。女性受賞者は初めて。1枚1枚の写真には、戦争の傷痕に苦しみながらも、背筋を伸ばして生きる人たちの凛とした「今」が、深く刻まれている。

 ●重いテーマを長年追い続けているのはなぜですか。

 同時代を生きる者として、私自身がまず知りたい、そして伝えたいと思った。ベトナムの場合は、戦争終結から6年後の1981年に訪れた。人々の暮らしはアジアでも極貧と言われるほどひどかった。着ているものもつぎはぎだらけで、パッチワーク寸前。顔色も悪かった。しかし、人々は凛々しく、背筋をしゃんと伸ばし歩いていた。ここに魅かれたのだと思う。この20年間に20回くらいは通ったが、その印象は変わらない。生活が各段に豊かになった今でも、日本のように腑抜けたような顔の人は少ない。日本よりもっと豊かに暮らしているヨーロッパに行っても、人々はシャンと生きている。お金がたまると、人間が間延びするというのはウソ。今のところ、日本だけかも知れない。

 ●沖縄や広島、アウシュヴィッツでも声なき声を拾い、彼らに寄り添って来られた。

 撮り始めて改めて、彼らの歩んだ人生の過酷さを知った。その人たちの「記憶の古井戸」をのぞこうとする訳だから、とにかく相手の立場に立って考えようと心がけた。

 被爆者の場合、彼らは「たまたま被爆を免れた同じ日本人」から「汚い、臭い、放射能がうつる」といわれのない差別を受け続けてきた。何度も足を運び、人間的な信頼関係を結ぶことで、心が通いあった。そして、ケロイドの跡を隠すように丁寧に化粧する人。「顔はいや」と後ろ姿だけを撮らせてくれた人。そんな1人1人の姿から被爆のいやせない苦しみが伝わってきた。

 ●敗戦から半世紀以上たっても消えない被害者らの悲痛。しかし、日本では過去を否定する動きが進んでいます。

 恥ずかしいことだ。広島の朝鮮人被爆者の話を聞いて胸に突き刺さったことがある。「故郷から強制的に連行された上に、被爆した後でさえ『朝鮮人に塗る薬はない』と放置された」という。恨みつらみを声高に言うのではなく、「口では言えない」と言葉少な。それなのに、その事実に目を背け、「自虐的」などと言いながら、あったできごとさえ、否認しようとする「新しい歴史教科書をつくる会」などの動きは理解に苦しむ。

 IT革命などによって地球はドンドン狭くなっている。そんな中で、他国を否定して、自国だけが素晴らしいというような価値観を持っていたら誰にも相手にされなくなる。もう、日本だけが鎖国して、世界で孤立して生きていける時代ではない。時代錯誤の考えを捨てるべきだ。朝鮮半島との関係で言えば、侵略し植民地にしたという歴史を踏まえ、その上に立って、きちんと謝罪し、新しい関係を問い直すべきだと思う。聞き手・朴日粉記者

読み継がれる名著

 「龍平とともに―薬害エイズとたたかう日々」、川田悦子著、岩波書店、1400円+税

 実名を公表して薬害エイズの責任を国と製薬会社に問い、広い共感をえて画期的な和解実現の牽引車となった青年、川田龍平。彼を支えた母・悦子。活躍の陰で人知れず日記に刻まれた生々しい記録が、「たたかう女」の内面を映し出し、母として、人間としての格闘の源を明らかにする。

 「近代日本と朝鮮第三版」中塚明著、三省堂選書、1650円+税

 解放、そして民族の完全独立を期した朝鮮に、分断の悲劇はいまも続き、民族の熱望はなお実現していない。近代日本の歴史の省察を試みた労作。

 「侵略戦争―歴史事実と歴史認識」、纐纈厚著、ちくま新書、660円+税

 日清戦争から15年戦争にいたるまで、日本を貫いてきた侵略思想とは何だったのか。なぜ日本帝国主義は南京大虐殺や慰安所設置に代表される暴虐をうみだしたのか。自己本位の侵略思想が再生産される構造と体質に迫る。

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