地名考−故郷の自然と伝統文化
慶尚北道−D慶州の古墳
20余基、全体が野外博物館
司空俊
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古墳公園は慶州駅の南西部に位置し、古墳が20余基ある。大きいものは鳳凰台で、直径82メートル、高さ21メートルである。植民地時代、日本人はこの地帯の遺跡を手あたり次第に発掘した。1921年に金冠塚が発掘され金冠が発見された。この時、発掘された純金製品は7.5キログラムあったという。
1926年に金鈴塚、1928年には瑞鳳塚が相次いで発掘され、冠、玉など宝物が多数出土した。市内には200基の古墳があり、郊外のものを含めると300基以上になる。中でも太宗武烈王(金春秋が654〜660年)のものは直径が32メートル、高さが12メートルの円丘状である。このように慶州一帯は10キロメートルにわたって史蹟があり、全体が野外博物館のようである。 名の知れたものは佛国寺と石窟庵、天馬塚、大陵苑、武烈王陵、雁鴨池、瞻星台、慶州国立博物館、鮑石亭趾、芬皇寺趾などである。このように寺院、王陵、記念碑、数多くの宮殿跡と城址が散在する。誇れる文化財は、郊外の佛国寺と、吐含山の石窟庵の大仏像であろうかと思う。 地域別にみると、慶山はリンゴの名産地として知られている。特産というと年配の方は「大邱リンゴ」を思い出すだろう。住民は慶山を東大邱と呼ぶ。大邱から30里(12キロメートル)、それだけ近い。それでここから産するリンゴを大邱リンゴといったりしている。味がよく、一時は南朝鮮での生産の60%を占めた。かつては米豆検査所もあったほど。 ちなみに大豆は朝鮮北部が原産地である。筆者が調査した限りではヨ―ロッパに伝播(でんぱ)したのは1739年頃である。パリ植物園で最初に植えられ、1789年にドイツで、翌年の90年にイギリスの植物園で試験栽培されている。 日本には1世紀頃、朝鮮移住民によってもたらされている。だからヨ―ロッパの古代史に大豆は登場しない。 蔚珍は1963年に江原道から編入した。なんで も方言が慶尚道に近いか らだといわれている。この 地方の人は聖留窟(1960年に発見された2億5000年前に形成された石灰洞)、仏影渓谷、白岩温泉(新羅時代に発見、泉温42度の硫黄泉)をあわせて「蔚珍三宝」と呼んでいる。 義城は、なんといっても朝鮮最初の綿花栽培地として有名である。文益漸(1329〜98年)は中国(当時は元)から帰国するとき、そっと筆管に木綿種を隠し入れて持ち帰り、義城(全城面に綿作記念碑がある)で朝鮮最初の栽培の基礎を築いた。 ニンニクは蔬菜耕地面積の40%ほどを占める。名勝地には春山という所に氷穴、風穴があり、三伏中(伏とは夏の極暑の期間をいう。初伏、中伏、終伏にわける。合わせて三伏)にも氷が融けないという。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |