地名考−故郷の自然と伝統文化
慶尚北道−B名勝地・慶州
東洋最古の天文台・膽星台
司空俊
エミレ鐘 |
膽星台(1908年) |
新羅の古都・慶州は新羅56代、992年間の首都で栄華の香り高い歴史を誇る。大邱から55キロメートル、東西8キロメートル、南北10キロメートルの盆地である。古代は斯盧国(サロ国)の中心地で6村があり、朴赫居世が王(紀元前57―後4年)になり、国号を徐羅伐、斯羅と称した。
12代王智証王(500〜513年)の時に新羅と改称した。慶州は4代王の昔氏脱解王の時は鶏林、または始林になった。その後、慶州は慶州、東京、鶏林の地名が反復されたが、1413年に慶州に改められてこんにちに至っている。 歴代王朝の首都が置かれた平壌、開城、扶余、ソウルと、どれをとっても山紫水明の地であった。新羅王朝の慶州も、またしかりである。「三国遺事」によると最盛期の憲康王(875〜886年)の時には約17万9000戸、50万の人口を擁した。古くから金剛山と慶州は朝鮮が世界に誇る2大名勝地といわれている。 その中で、瞻星台は東洋最古の天文台で、善徳王(632〜646年)の時に建造されたものである。1年を表す365個の花崗岩を円形状に27段、基部の直径が約5メートル、高さ9.4メートル(9.17メ−トルのものもある)の天文台で、最上部には観測器具を備えたといわれる井字型台石が乗っている。星の運行、日食、月食などを予測し、季節を正確に知らせて農事を助けたという。 瞻星台から徒歩5分に鶏林が位置する。鶏林の地名由来は次のようである。鶏林は始林と呼ばれた叢であった。4代王・脱解王の時、ある夜更けに白い鶏が鳴く声で目覚めた王が林に出かけたところ、1本の大木の枝に金色の箱がかかっていた。その中に赤ん坊がいた。それが金閼智であったという伝説に由来している。慶州金氏の発祥地である。朴氏(始祖赫居世、新羅始祖)、昔氏(始祖新羅四代王・脱解王)とともに新羅の王位を交代で務めた金氏の始祖金閼智の出生伝説である。 金冠と奉徳寺鐘・慶州博物館には1921年に発見された金冠がある。1000数年前の工芸技術水準の高さを見せてくれる民族遺産である。翡翠、曲玉が57個、飾り玉150個がきらめく金冠である。奉徳寺鐘は「エミレ鐘」の哀話で知られる。771年に完成したもので鐘口2.25メートル、重さ7万2000キログラム、朝鮮最大のものである。エミレ鐘のいわれには悲しい伝説がある。時は新羅王朝、法鐘鋳造した時に、失敗をくり返した。そこに子供をいけにえにしたのである。母は泣く泣く童女を差し出した。「母よ、母よ」と泣き叫ぶ哀れな声は、聞く者の臓腑をえぐった。母も子どもの後を追った。 ところが不思議なことに、母子2人の擬声によってできあがった名鐘は衝く毎に必ず「エーミル エーミル(母よ、母よ)」と恨みの曲が奏でられるという。(サゴン・ジュン、朝鮮大学教員) |