新世紀へ−民族教育を歩く

見えない学力


楽しい授業で学力もアップ
(埼玉初中)


 巷では、日本の学生の「学力低下」が指摘されている。80年代から進む「ゆとり教育」、「個性尊重」をうたった90年代の新学力観なるものの引き起こした結果。というのが大方の見方だが、あちらをたてればこちらがたたず、とはまさにこのこと。このバランス感覚の悪さだけは、絶対に見習ってはいけない。

 新学力観の最中、ウリハッキョの教師たちの間で広く読まれていた本の1つに「見える学力、見えない学力」(岸本裕史著)がある。著者の分析によれば「個性とは、一定の学力の積み重ねの上に発揮されるもの」。学力を身につけるためには、やはり普段からの地道な学習習慣づくりが肝心。よほどの天才でもない限り、なんの積み重ねもがんばりもなしに、学力が身につく子供などいない。だから、日々の習慣づくりの基礎となる「しつけ」は「見えない学力」といえる。著者を招いた講演会が東京で開かれた際、参加した200人余りの父母、教員たちが強く共感を示していたのはこの点だった。

 東京第3初級で低学年児童を長年受け持つ高幸秀教員(48)は「ポルッキョヤン(しつけ)」の大切さをことに強調していた。

 「しつけは、何より学力アップのための大切な土台です。ですが、しつけを重んじる理由はそれだけではありません。知能が高いだけでは、 賢い 人間は育ちませんから」

 人間形成においては、やはり「知・徳・体」のバランスが大事だということなのか。当世、何かとアンバランスな人々が目につく。反面教師としよう。(姜和石記者)

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