如月小春さんを慎む
鋭く照射「アジア」と「女性」
ほぼ同世代の女性の壮絶な死だった。不眠不休の仕事が続き、44歳という若さで昨年末、くも膜下出血で倒れた。知的な容貌と鋭い頭脳。マスコミには「才色兼備」の枕詞がしばしばつけられていた。劇作家兼女優として華やかな脚光を浴びる傍ら、女性の視点でアジアと日本の近代について真しに語り続けた。
私が何度かお目にかかったのは、95年秋に開かれた「アジア女性演劇会議」の後だった。この人がいなければとても開催は無理だったと語り草になっているほど。 アジア13ヵ国から集まった女性の劇作家や演出家の白熱した論議。「アジアの女性たちの今の姿が鋭く、鮮明に照らし出された」と当時その成功を心から喜んでいた。 演劇は時代の鏡だといわれる。その時代をとらえる切り口としての「アジア」、そして「女性」。如月さんはそこに真正面から向き合い、気迫に溢れた議論を展開した。 「近代化を脱亜入欧のスローガンの下に始めた日本では、国力というのは経済力や軍事力をつけていくことでした。その中にあって西欧文化は力のある『男』であり、アジア、アフリカは力のない『女』だった」強い男が弱い女を支配する構図。それはそのままアジアを踏み台にして近代国家に生まれ変わった日本の姿に重なる。だからこそ「従軍慰安婦なるおぞましい発想が、生まれるべくして生まれた」と日本の過去を断罪しながら、過ちを繰り返さぬためには「近代化のあり様を問い直し、日本人一人一人が、倫理的、哲学的、社会思想的に、どういう生き方をすべきかを確認することが重要だ」と語っていたのを思い出す。 高名な宇宙物理学者の父を持ち、「1人で本を読むのが好きで、引っ込み思案な」少女時代を過ごした。女子大に入った頃、「このままでは大人になって困るな」と思い、「自分を変えるために」演劇研究会に入った。それが天職になった。 戯曲を書いて、演出する合間にエッセイを書き、大学の教壇にも立ち、テレビに出て、地方公演もこなした。多忙だが計画的に過ごすのが好きな人だった。 結婚もして、子育ての最中でもあった。アジアと日本の演劇だけではなく、もっと文化の奥深い所で双方の架け橋になりうる人だった。その活躍を見てみたかった。合掌。(粉) |