「新しい歴史教科書をつくる会」
前近代の朝日史をわい曲
文化的恩恵を無視
「任那日本府」を肯定
秀吉の朝鮮侵略を美化
日本の戦争犯罪を否認、逆に美化している「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史書、教科書が多くの学者や専門家から厳しい批判を浴びている。歴史教科書の「パイロット版(試作版)」として、会をあげて宣伝してきたのが「国民の歴史」(「つくる会」会長の西尾幹二著)である。歴史の改ざんは近現代にとどまらず、前近代のアジア関係史までに及んでいる。「劣った国、眠り続けていた朝鮮」を列強の支配から解放させてやったと主張しながら、植民地支配を正当化しようとする、歴史改ざん主義者の言説の問題点と本質を探ってみた。 「独善的自賛の日本歴史物語」 「政治的ブロパガンダの書」 「史実をゆがめる 教科書 に歴史教育をゆだねることはできない」というアピール文(昨年12月5日)の呼びかけ人の一人である永原慶二氏(一橋大学名誉教授)は、「国民の歴史」を実証科学としての歴史学を根源的に否認した「独善的自賛の日本歴史物語」とした上で、西尾氏の対朝鮮観について事実を挙げながら批判している(「 自由主義史観 批判|自国史認識について考える|」岩波ブックレット)。 室町期、朝鮮の「高麗版大蔵経」を歴代将軍、守護大名はこぞって渇望し、まだ国内で木綿栽培が行われていなかった頃、日本は朝鮮木綿を大量輸入してその恩恵を受けた。 また李朝の発行する「図書」(信符)を受けた日本の大名・地域領主は競って朝鮮に使者を送り、活発に取引した。秀吉の朝鮮侵略時には、多くの朝鮮陶工が日本に連行され、彼らによって薩摩焼の陶業生産が開始され、それが今日の基礎となっている。 こうした事実を踏まえて永原氏は、「西尾氏は朝鮮(李朝)は『官僚的老廃国(清)の属国にすぎ』ず、中国への従属性の強い政治体制の中で停滞していたという蔑視的認識を強調し、中世・近世を通ずる交流や日本が受けたさまざまの文化的影響・恩恵にふれようとしない」と批判している。こうした「停滞史観」「他律性史観」は「つくる会」の様々な出版物の中にも随所に表れている。 さらに見過すことができないのは、「国民の歴史」の中に、いまやまったく否定されている「任那(みまな)日本府の朝鮮支配」(注参照)が改めて記述されており(山尾幸久・立命館大学名誉教授)、もはや疑う余地のない豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争(壬辰倭乱)の経過や蛮行についていっさい語らず、秀吉のアジア征服構想を「壮大な世界征服構想」と評価していることにある(糟谷憲一・一橋大学教授)。 ちなみに「つくる会」の歴史教科書にはこう記されている。「大和朝廷は、半島(南部)の任那(加羅)という地に勢力圏を占めた。のちの日本の歴史書で、ここに置かれたわが国の拠点は、任那日本府とよばれた」。また、壬辰倭乱については、侵略という言葉を使わず「『出兵』、『軍を送った』」と記し、日本軍の三光政策(殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くす)については一言半句も触れていない。 そして、秀吉を評価する小説を書き続けた司馬遼太郎氏の歴史観から大きな影響を受け、それを信奉しながら「自由主義史観」を叫ぶ藤岡信勝(「つくる会」理事)である(中村政則・一橋大学教授)。 「断絶の世紀 証言の時代|戦争の記憶をめぐる対話」(岩波書店)の中で、徐京植氏(東京経済大学教員)は、侵略戦争の記憶はまさに「隠蔽、否認、歪曲、抹消、横領といった暴力にさらされている」と指摘する。 また、尹健次氏(神奈川大学教授)は「日本の戦後史における最大の汚点は、天皇・天皇制の責任を含めて戦争責任の総括を一億総懺悔でまったくうやむやにしてきたことである」(「 在日 を考える」平凡社ライブラリー)と指摘し、「現在日本のネオナショナリズムの焦点は北朝鮮敵視にある」と強調している。(金英哲記者) (注)古代の日本国家が4世紀から5世紀にかけて加羅地方を中心とする朝鮮南部一帯を支配したという説。「日本書紀」にまるごと依拠したもので、大和政権が自分たちの勢力を誇大に表現するためにねつ造したものだ。日本は明治時代になって、朝鮮を侵略する口実にこれを利用した。 |