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小松川女子高生殺人事件とは?

18歳の李珍宇を実名報道/背景に差別と生活苦


  小松川女子高生殺人事件とはどういう事件ですか?

  1958年8月、都立小松川高校(東京・江戸川区)の定時制に通う女子高生が、校舎の屋上で腐乱死体となって発見されました。この事件は、犯行を認める犯人の電話と手紙が新聞社や警察に送られてきたり、犯人と記者との間で交わされた一問一答の録音がラジオで公開放送されたりしたので世間の注目を浴びました。事件発覚から10日後の9月1日、女子高生と同じ高校に通う1人の少年が容疑者として逮捕されます。少年の名前は李珍宇(当時18歳)。

 当時のマスコミはこの事件を朝鮮人少年の犯行として大々的に取り扱いました。新聞や出版物には、少年法で禁止されていたにもかかわらず、珍宇の名前や写真が掲載され、なかには取り調べの模様までのせた新聞もありました。事件の凶悪さのために、珍宇は18歳でありながら少年法の適用外とされ、裁判で死刑を言い渡されます。そして支援者の減刑助命嘆願も虚しく、62年11月16日宮城刑務所で処刑されました。

 李珍宇は難聴で口が不自由な母親、日当を飲み干してしまう父親の下で貧しく不幸な生活を送ります。また成績が優秀だった彼は、大手の日立製作所や精工舎に入社試験願書を提出しますが、受け入れを断られます。この事件はこうした在日朝鮮人の苦しい生活と差別状況を悲劇的に告発した事件として語られてきました。

 ところが、彼が処刑され20年経った82年、「無実! 李珍宇―小松川事件と賄婦殺し」(築山俊昭著)という1冊の本が出版されました。この本では公判廷において罪を認めたまま処刑された李珍宇が、実は無実であったと書かれています。もし著者の言うとおりなら、同胞のえん罪事件として、事件の見直しを行わなければならないでしょう。
(金大遠、研究家)

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