チェサの風景 陳祥才


民族心と一族意識を確認する場

 その日は雨が降っていた。昨年11月26日。大学で文化人類学を学んだ後、2世の視点から「在日コリアンにおけるチェサの社会人類学的研究」というテーマで調査を進めている私は、大阪生野区の高家を訪ねた。

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 明日は「祭祀」(チェサ)の日。4年前に亡くなったアボジの命日にあたり、親族一同が会する。済州島出身の高家は、儒教式の法事である祭祀を年に6回営む。妻の姜さんや、嫁(ミョヌリ=息子の妻)の韓さんにとって忙しい思いをする1日である。

 大阪鶴橋の商店街。数えられないほどの種類のキムチなどの朝鮮乾物や食品が並ぶ。オモニと韓さんは口に合うものを買っていく。

 さっそく台所に立つ。供物1つひとつに作法があるというが、歳月の流れとともに供物の数も段々と減っているという。「うちはまだましなほうや。もっと簡素化しなあかんと思うけど、聞いた話によれば遺影の前におむすび1つだけという、ところもあるみたいやで」(姜さん)。

 「オモニ、この供物をどこに置けばいいの?」と韓さんがオモニに聞くと、すかさず凄味のある言葉で1世のオモニは「チッチ、アイゴウ、まだわからんのか。その供物はそっちに置くんや!」と叱る。

 プライドでも傷つけられたのか、韓さんはむっとした顔をする。「ほんまに長男の嫁は辛いわ。チェサの度に嫌な思いをするので、チェサなんか無くなってほしいわ」と私に語りかける。

 「また出費もかかるし。難しいことやらんと、チェサの経済的影響というテーマで調査したほうが役に立つと思うわ」

 いやはや、先を見る朝鮮の女性は凄い、と思った。

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 当日の午後8時。遺影の前に供物や杯を並べ終え、ご飯とおつゆを差し上げて儀式を始めるころには、さして広くない家に3世代12人が集まった。

 スーツ姿の長男と次男が祭壇に酒をつぎ、供物に手を添えて死者の食事を世話した後、全員がチョル(おじき)をする。この後、供物を囲んで、生者がいただく飲福(ウンボク)の時間は、親族の話がはずむ。

 「オモニ、来年からは遺影の前にご飯とおつゆ、酒だけ供えようよ」と長女が言うと、嫁の韓さんは「そうなったらほんまに楽でええわ」と、喜びの顔で言った。

 すると、長男が口をはさんできた。「もちろん、お前たちの負担は大きい。でもご飯とおつゆだけだと、死者に対して失礼やと思わんか。少々形式ばったことをしないと、チェサの体裁が整わないんや」

 そしてオモニが「チェサをするのはウリ民族のパルチャ(運命)や。それを踏まえた上で、お前らの形式ですればええ」と言うのだった。

 議論は深まる。と同時に「アァ、アイゴウー」とアボジの声が天からおりてきた(?)。そろそろあの世に帰るらしい。アボジは戦前戦後、雑貨売りしながら家庭の生活を支えてきたと言う。ミョヌリを、孫を可愛がり、常に一家の幸せと繁栄を願いつつこの世を去った。

 そんなアボジの姿が思い浮かんだのか、韓さんは目頭を熱くして「やはり来年もこういう形式で行うのがええと思う。アボジが与えてくれた料理を囲んでみんなと話しするのが一番やわ」と、議論を締めくくるかのように言った。

 統一の暁にはアボジの遺影を持って済州島へ行くのが夢という彼らであった。

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 その風景を見ながら私は思った。チェサは結果的に民族心と一族意識を互いに確認する場であるとともに、共通の民族伝統であるということを。

 政治信条を問わず、貧富を問わず、国籍すら問わずにチェサは行われてきた。在日の若い世代が9割以上を占めようとする今日もである。

 「(儀礼の)そのとき思考を占めているのは、共通の信念、共通の伝承・大祖先の追憶・大祖先を権化とする集合的理想」

 エミール・デュルケムが「宗教生活の原初形態」で指摘しているとおり、宗教儀礼・チェサは、同胞社会のちゅう帯的機能を果たし、社会と、社会の核である家族を統合、強化してきた。宗教的儀礼を通して集団は自らの存在を再確認し、再び活気づくといえる。

 飯田剛史氏(富山大学教授)でさえ「家庭での祖先祭祀は、伝統的祭祀形態と同族の絆をよく残している一方、同族の絆をこえた双務的な親戚付き合いの輪がそれを支える母体になる傾向が見られる」と指摘している(「在日韓国・朝鮮人の祖先祭祀と民族意識」)。 都市化が進み、住まいが離ればなれになっても、チェサはどんな形式にしろ必ず受け継がれて行くだろう。

 オモニがいったように「パルチャ」に逆らうことなくチェサを行ってきたがゆえ、これまで在日は同化と排斥の論理に屈することなく、団結して力強く生きてこれたのだ。(チン・サンジェ、研究者)

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