地名考/故郷の自然と伝統文化

ソウル−J江華島の山々と寺

八万大蔵経の木版作った伝灯寺

司空 俊


八万大蔵経の木版


江華東営(1876)


 1866年、アメリカは2軍艦と4小艦隊で朝鮮に侵入してきた。人民の抗戦によりソウルへ侵攻することが出来ないと思い、江華島の攻撃を開始した。

 アメリカは水路である潮河の入口の草芝鎮に上陸、さらにその奥地の広城堡を包囲した。アメリカ軍は広城堡を防衛する朝鮮軍の10倍に近かったという。

 玉砕を覚悟して戦った朝鮮軍は敵軍に決定的な打撃を与えた。この戦いで散った愛国勇士をまつる広城祭壇がある。

 島の南にある摩尼山は最高峰で邑(村)から11キロメートル、山頂に塹城壇がある。高さ17メートル、基壇は花崗岩である。

 太古の時代、檀君がお祭りをしたと伝えられるため、体育祝典などの行事があると、塹城壇から「聖火」を点火するという。

 草芝鎮の西方に鼎足山山城である三郎城があり、城の東門には伝灯寺がある。

 伝説の寺で、高句麗小獣林王の時、阿道和尚が鼎足山に登り山勢をみて、仏堂を建てたのが伝灯寺だという。

 真宗寺であったが、高麗忠烈王王妃が玉灯を献納したので、伝灯寺と改称したといわれる。保存状態がよく梵鐘(ぼんしょう)もある。

 しかし、元々の梵鐘は太平洋戦争末期、日本に強制的に供出されたきり戻らなかったという。現在のものは中国鐘で、日本が中国を占領したとき略奪してきたものを、解放後に住職が富平造兵廠で見つけたものという。

 伝灯寺の名が世間で有名になったのは、このような伝説だけではない。世界最初の木版印刷をした八万大蔵経(注)の木版作業所でもあったからである。

 高宗23年(1236年)から15年、8万1137枚が完成。現在、慶南陜川海印寺に保管されている。

 朝鮮レンギョウ、ツバキ、イチョウ、バラが多い。鳩、カササギ(朝鮮カラス)、ツルもほかよりも多いという。

 軍事境界線に近い京畿道は軍事的なものが多い。それらを念頭においていくつかあげてみる。

 城南市(1973年市制)には輸出用地方工団があり、議政府は面積の70%が軍事基地である。

 坡州は軍事基地でほぼ占められる。漣川も軍事基地で占められロッキーとかテキサスと呼ばれた。抱川は外国軍隊相手のバーが並んでいた。

 平沢は基地村社会である。救いになるのは楊平の天然記念物の公孫樹がある。

 名勝地は水原城、西湖(水原)、逍遥山(東豆川)、竜門寺(楊平)、国宝の多い神勒寺(驪州)、驪州八景、楊平八景(抱川)、塹城壇(江華島)、南漢山城(広州)、幸州山城(高陽)である。

 (注)=印刷技術の発展により、高麗時代に膨大な資料と技能工を動員して造りあげた八万大蔵経は、史上最大の木版印刷として有名。 (サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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