地名考/故郷の自然と伝統文化

ソウル−I特産物と江華島

葡萄の各産地 近・現代の歴史的舞台

司空 俊


江華島南門(1876年)


江華島水門(1976年)


 安養市のブドウは、古来から全国的に知られたほど風味がよく、甘味が多い品種である。

 富川市の素砂の水蜜桃も天下一品。梨の亀浦、リンゴの大邱と並ぶ素砂の桃である。素砂付近は古くからの山川狩猟地で知られる。 平沢はかつて、「嫁無しに暮らしても、長靴なしには暮らしてゆけない」といわれたほど水利が難しかったが、改善された。

 また、年配の人によく知られている「安城の鍮器と統営の笠」といえば、質がよいことで有名だ。

 富浦(ブポ)は砂利の畑が広く分布し、水はけが良いのでサツマイモの栽培に適しているとされている。サツマイモを携えて桂陽(ケヤン)山城を訪ねるのもよいという。

 他の特産物では、金浦(キンポ)米、利川(リチョン)磁器、甕津(オンジン)大理石、江華(カンファ)小麦餅、南楊(ナムヤン)カエル料理などがある。

 朱安天然塩、坡州鳳棲山の硯石、長湍大豆も人気があるらしい。だから、土俗専門料理店舗では伝統食が売られているともいう。

 高麗時代のやきものとしては、青磁器がことのほか知られているが、竜仁(リョンイン)窯跡では白磁も青磁と同じように焼造されていたことが明らかになり注目を集めた。

 坡州は1984年の水害時、朝鮮からの救援物資の一部を引導した地でもある。

 江華島を語らずして京畿道を終わるわけにはいかない。この島は朝鮮5大島の1つである。

 金浦半島が塩河によって分離したような島である(70年には694メートルの江華大橋が架けられた)。

 ここには、古代遺跡があちこちに見られる。古代だけでなく、近・現代までの歴史の舞台でもあった。というのは、この島は漢江、臨津江、礼成江の三大河川が集まる河口付近に位置することから、海路で開城に往来でき、のちの時代にはソウルにも行けた。逆にみれば自然要塞のようなものであった。

 それゆえ、国難のたびに,王族や貴族の避難地ともなった場所だ。
 また島のあちこちに防衛用の城壁、戦闘用の砲台、臨時の軍隊宿泊所にもなる寺院が築造されたりもした。

 例えば、高麗の高宗は蒙古がおし寄せて来た1232年に、開城から江華島へ遷都して39年間、臨時首都にした。

 李朝の丙子胡乱(1637年、清〔中国〕の侵入)の時は王族の避難地であった。

 また、首都防衛4鎮として砲台を築き、島の南に位置する摩尼山(469メートル)には烽燧台を設置、軍隊を駐屯させた。

 丙寅(1866年、フランスの侵入)、辛未(1871年、アメリカの侵入)、雲揚号事件(1875年、日本の侵入)は、江華島沿岸で起きたものである。

 開城にもソウルにも近い、朝鮮のほぼ中央部に位置することから目をつけられたのである。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事