「ハンギョレが伝える南北の手紙から」

北にいるアボジへ

娘インジャの返信

リュ・リョル社会科学院教授


会わせたい孫ヨウル

 愛する私のアボジ(お父さん)へ。

 アボジ! あまりにも呼んでみたかった名前でした。

 何より、健康に暮らしているとの知らせがあまりにも嬉しく、感謝するばかりです。いつごろ手紙の往来が実現し、互いに消息を知らせ合えるようになるものか、いつも待ち焦がれていました…。突然、私に送ってくれたアボジの温かい心がそのままこもった愛の手紙は、あまりにも驚くべきことで嬉しかったです。

 アボジ!  こうしてみると、私の生涯において2000年は祝福の年、生涯最高の年であったことを忘れることはできません。私の心の奥底で、再び熱い涙が込み上げてくるのを押さえられません。

 アボジ、もうこちらの心配は絶対にしないでください。みな安らかに暮らしています。アボジが名付けてくれたひ孫「イム・ヨウル」は、かわいく、健康にすくすく育っています。いつか、統一のその日が来て、アボジに会わせたいです。アボジの深い志がこもった可愛い名前のとおり、澄んで物静かで、清らかに育てたいです。

◇               ◇

 アボジ!  私の心が最近、どれほど豊かか分かりますか? 持つものなど何もなかった私に、たびたび会うことはできないけれども、それでも同じ空の下で愛するアボジと弟妹たちが息を吸い、暮らしているというその事実が、いつも私の心を豊かにしてくれているのです。本当に、私たちの出会いは夢ではなかったのですよね? あまりにも短い出会いだったから、いまだに夢から覚めないような錯覚を拭いきれません。

 アボジ!  欲があまりにも深いのでしょう。いまだ、どれほど多くの離散家族が会いたい家族の生死すら知らないまま、心焦がしながら暮らしているのに、また会いたいこの切なさをどうすればよいのでしょう?

 アボジ、自慢したいことがあります。すぐにでも見せてほめられたいです。大韓赤十字社が離散家族再会の体験手記の公募をしたのですが、私が書いた手記が最優秀賞を取ったんです。うまく書いたというよりは、事情が心苦しくて悲しいからだと思います。アボジが聞いたらどれほど喜ぶか、考えました。幼い頃、スソン国民学校の2年生だったか、その時に作文を書いて当選した時、すごく満足げに喜んでくれたではないですか。

 アボジ!  白内障の手術はされたのですか? いつも2人の叔母が気遣って、とても心配してます。すぐに手術を受けなければだめです。いつも本を読んで字も書くのであれば、目は本当に大切ですからね。

◇               ◇

 アボジ!  8月18日の朝、覚えていますよね。アボジと私が別れたあの日の朝。車窓に手を掛けて泣きわめいたあの朝を、私は生涯忘れないでしょう。私たちが必ずまた会えることを願います。

 オモニ(お母さん)と私の愛する弟妹たち、甥たちに、私の安否を伝えてください。口を開けばキリがありません。また機会があれば消息を伝えます。私の生涯に大きな感激を与えた2000年も、もう1日を残すのみになりました。でも、アボジの手紙を受け取って今年を終えられることが、どれほどありがたく、感謝に尽くしがたいか、この感動を表現しようがありません。

 どうか健康には気をつけて、楽しく暮らしてください。私たちは、また会えるその日を夢見て暮らします。

 2000年12月30日アボジの愛する末娘 ひまわり インジャより (翻訳・編集部)

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