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「虚像」「神話」を排す

 「日本」とは何か。いま最も円熟した仕事ぶりで注目される著者の刺激的なタイトル。「日本の歴史」(全26巻、講談社)の第1巻配本で、「歴史を見返すことが、今なぜ必要なのか」を新たな研究、史料、考古学的な発見に沿って徹底的に説いていく。

 数々の「常識」や「定説」を覆してきた網野史学の集大成ともいうべき1冊。これまで切り捨てられ、無視されてきたものを1つ1つ検証する。その1つが海。巻頭の口絵には富山県が作成した「環日本海諸国図」が掲載されている。「日本海」が日本列島と朝鮮半島、大陸に囲まれた内海であることを鮮やかに示す図だ。そして縄文時代から現在に至る歴史的検証を駆使しながら「海は人と人とを結びつける道」であると指摘、「孤立した島国」という日本像を見事に覆す。

 様々な虚像を刷り込んだのは、明治以降の近代国家であり、その結果が無謀なアジア・太平洋戦争の悲惨な大破綻であったと結論づける。

 同じ手法で「日本は単一民族、斉一社会、単一国家」論を「神話」と退ける。日本の行く末を案ずる危惧が読み取れる。

不吉な兆候への警告

 プリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツの生き残りであり、文学者であり、科学者でもあった。1919年、トリノのユダヤ系家庭に生まれ、トリノの大学で化学を専攻した。第2次世界大戦の末期、北イタリアがドイツ軍に占領されると反ファシズム抵抗運動に加わって闘った。43年12月に逮捕され、アウシュヴィッツ収容所に送られ、解放されるまでのおよそ一年間、奴隷以下の日々を過ごした。

 45年1月27日、ソ連軍によって解放された彼は、同年10月にトリノの自宅に帰り着くと、わずか数ヵ月のうちにアウシュヴィッツでの経験を「これが人間か」と題する書物に書き上げた。これは「アンネの日記」などと共に、ナチス・ドイツの蛮行の事実を伝える証言文学の代表作。ところが、生還から40年以上たった87年4月、レーヴィは自殺した。

 暴力の世紀を生き延びた貴重な証人を取り巻く不当な疑いや無関心のまなざし、そして孤立感、自死。その警告が持つ重みは、日本の現状を照らし出す。在日朝鮮人作家の筆者は、レーヴィの足跡をたどりながら、彼の思想、考え、感情の動きに強い共感を覚えていく。

相互理解深める詩翻訳

 「金素雲『朝鮮詩集』の世界」(中公新書)を読むと、詩を他の言語に翻訳することの難しさを改めて思い知らされる。しかし、だからこそ百人百様の解釈と訳詩が成立しえるのではあるが。

 著者は小熊秀雄賞などを受賞している気鋭の詩人。朝鮮語を学ぶ過程で出会った「韓国現代詩」の魅力にとりつかれ、自ら訳し、高じて作家作品研究にまで足を踏み入れる。「ノートの段階」と謙遜するが、草創期から新世代まで、モダニズム詩から社会参与詩まで幅広く紹介している情熱と力量は並ではない。

 39人の作品を分析し、すべてに的確な批評が加えられている。詩がその時々の時代精神を反映するものであるという側面から見るならば、著者の仕事は十分に南の社会と民衆の実態と感性を伝えることに成功している。

 その困難な仕事に立ち向かわせたのは、「文化の違いを認識することで文化は豊かになっていく。多元的詩文化、個性の対等な共存の時代を創造するために、相互理解を深めて行くことが大切だ」という一途な願いである。「韓国現代詩」の翻訳・紹介において、やっと日本詩壇は最良の適任者を得たと言えよう。

暮らし見つめる眼差し

 「1本1本よった糸を、染め師が糸に吸わせる呼吸のような音の世界。それを再現される天才というしかない、力のみなぎった文章」と作家の水上勉氏が絶賛する岡部さんの随筆。

 本書は日々の暮らしを透徹したまなざしで見つめ、思索する岡部さんの真骨頂を示すエッセイ集である。

 どんな立場の人にも、どんな生活にも、なくてはならない日々の暮らしがある。互いに支えあい愛(いと)しみあっている家族や、縁ある暮らしの中での発見、壁1つ隣の方も日常の物音1つ、同じ気象に包まれながら話し、挨拶している。近くになればこその貸し借りや、お知恵拝借など、人間関係に品物は欠かせない、と作者は綴る。

 たとえば、昨年死去した作家の三浦綾子さんの本を紹介した文。「お互いに、戦争中の教育で、軍国主義『名誉の戦死』肯定の娘となり、私は婚約者の非戦思想を理解せずに彼を戦死させ、三浦さんは小学校の先生となって子どもたちに皇民教育をされたのでした」。「とりかえしのつかない痛恨の歴史を共有した」ふたりは終生の友情を結んでいた。深い余韻に揺さぶられる。

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