コリアンとして生きる(4)


祖国訪問でなくなった「偏見」/今後の生き方も模索

同志社大学経済学部1回生 金博司

 私は高校までの間ずっと日本学校に通っていたので、大学の入学式の日に留学同の先輩から留学同に入らないかとの誘いがあるまでは、朝鮮人としての民族性を意識する機会はほとんど皆無だった。私は中学1年の時に日本国籍を取得していたものの、「カナウミ」と名のっていて顔もそれらしかったので、周囲の人間はチョソンサラムだと1発でわかったそうだ。

 はじめて誘いを受けた時は正直どうしようかと考えた。それまで留学同という存在すら知らなかったので不安もあったが、とにかく1度は参加してみることにした。

 しかしキャンプやウリマル教室、学習会などに参加していくうちに、次第に留学同に参加することの意義の大きさを理解するようになった。歴史1つ例にとっても、とくに近代の朝・日史を詳しく知り、なぜ自分たちがこのような活動を積極的に行なっていかねばならないかを考えるきっかけができた。

 今年の夏には祖国訪問団に加わりウリナラを1カ月にわたって訪れた。私自身正直なところこれまではウリナラに対する知識はほとんどなく、なんだかよくわからない国だな、という「偏見」を持っていた。しかし、祖国訪問を通して、朝鮮がどのような歴史をたどり、またなぜ分断したのか、そして今どのような方向に向かって進んでいるのか、という根本的なことを学ぶこともできた。それは在日朝鮮人ならば知っておかねばならないことであり、自分自身が今後どのように生きていくかを模索していくためでもあると思った。

 12月8日には、東京の日比谷公会堂で「民族サラン!  留学同フェスティバル」が開催されたが、私は朝鮮学校の歴史を題材にした演劇に出演した。演劇をただ演じるだけでなく、民族教育の歴史にこめられた意味も考えながら、観客にその思いを伝えられたと思う。

 留学同に参加して8カ月が経つが、私は本当に留学同と出会い、さまざまな経験ができて運がよかったと思う。なぜなら、留学同には朝高や日高出身者、日本国籍保持者、ダブルの人など実にさまざまな人たちが集まっており、お互いが刺激し合える環境があるからだ。

 私は日本国籍を取得しているものの、たまたま「カナウミ」という名前がきっかけとなり、留学同と出会うことができた。今後は、同じ境遇にあるトンムたちを1人でも多く見つけ出すためにも、留学同活動をがんばっていきたい。

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