第6次総聯同胞故郷訪問団

民族統一の大河へ

半世紀ぶりの親族との再開


出迎えに来た親せきから暖かい歓迎を受ける金露顕団長(仁川国際空港)
 在日本朝鮮人体育連合会の金露顕会長を団長とする第6次総聯同胞故郷訪問団(記者、随行員含め73人)が11月26日から12月1日まで、5泊6日の日程で南朝鮮の故郷を訪問した。半世紀以上が過ぎ60、70年ぶりになつかしい故郷の地を踏んだ同胞たち。民族の熱望を具現した6.15北南共同宣言の発表から1年半の歳月が流れ、すべての民族が共同宣言の精神に沿って統一実現のために力を注いでいるこの時期に、総聯の訪問団として故郷を訪れることができたことに大きな誇りを感じていた。そして長年消息すらつかめなかった家族、親せき間の再会という流れが今後、民族統一という大河に流れつくことを心の底から願っていた。(金美嶺記者)

80過ぎたオモニと墓参り

胸のつかえ下りた

 11月26日、仁川空港に着いた訪問団一行が到着ロビーに出ると、出迎えに来ていた家族、親せきらは一斉に名前を書いた紙を掲げ、一行のなかに自分の親せきを見つけると駆け寄り、抱き合い、あいさつをかわした。

 そうした場面が、ロビーのあちらこちらで繰り広げられた。

 同日夕、ソウル市内での宿泊先、シェラトン・ウォーカーヒルホテルで、一行を歓迎する大韓赤十字社主催の晩さん会が行われた。

 晩さん会では、大韓赤十字社の徐英勲総裁が歓迎のあいさつを行い、金露顕団長が答辞を述べた。

 金団長は、海外で暮らしながらも6.15共同宣言を履行することが、民族の和解と団結を達成する統一の門を開く道だと信じ、また、この道が民族の代を継ぐ道でもあり、愛国、愛族、愛民として生きていく幸福な道だと信じていると語った。

 晩さん会は、終始肉親の情あふれる雰囲気の中で行われ、訪問団の中から飛び入りで歌を披露する同胞もいた。

 翌日から3泊4日で訪れる故郷訪問を前に、どの同胞たちの表情も感激で胸いっぱいという様子だった。

 下関市在住の崔順愛さん(75)は、黄緑色のチマ・チョゴリに身を包み、晴れやかな顔で「年老いて、ようやく故郷に行くことになったけど、総聯の訪問団として来たことを誇りに思っている」と、胸を張った。

 茨城県在住の趙来活さん(68)は、オモニの李首嬌さん(85)とともに、故郷の慶尚北道を訪れる。趙さんは、「オモニとともに、先祖の墓参りをするが、胸の中につかえていたものが、下りた思いだ。とにかく、母が生きてるうちに来られてよかった」と、何度も繰り返していた。

異国でも代を継いで

民族の子、 孫として

 総聯同胞による故郷訪問の道が開かれるようになって1年が過ぎたが、それ以前は訪問、往来はおろか、日本にいる親族の中に総聯の活動家がいるということで、南の親族らにさまざまな迫害が及んだ事実がある。

 東京・足立区在住の文景南さん(88)は、夫人の金順熙さん(82)と娘の月仙さん(54)を連れて、故郷の済州道南済州郡安徳面柑山里を70年ぶりに訪ねた。

 「なぜ今まで、連絡をくれなかったのですか…」。文さんと抱き合いながら、涙声で甥が語った。

 甥の承植さん(65)は、5年ほど前に大学教授を引退した。教員生活を30余年送ったが、その間、日本に総聯活動家の親族がいることだけで、1度も海外に出ることすらできなかったという。

 27日、文さん一家を歓迎して、里では盛大な歓迎会が行われ、長老ら180人もの人が集まった。

 2世の月仙さんは、「アボジ、オモニと故郷を訪れることができ、感激はひとしおです。私の子どもたちも、日本で民族教育を受け、立派に代を継いでいます」とウリマルで堂々とあいさつ。「故郷の春」を歌った。

 翌日、先祖の墓参りをした景南さんは、成田からずっと車椅子の世話になってきたが、墓につくと、杖を突いて歩きだした。

 18歳で故郷を離れた景南さんは、見覚えのある路地を見つけ、海の匂いをかいだことで、当時の青年に戻った思いだったという。

 3人兄弟の末っ子で、日本にただ1人渡った景南さんは、70年ぶりの故郷で、1番の長老になっていた。入れ代わり立ち代わりあいさつに来る親族たちに、「本当に長い道のりだった。しかし、私の子や孫たちは、日本で誰1人、故郷を知らず、民族を知らない子に育っていない」と、胸を張った。

 その言葉を横で聞いていた甥の承植さんは、何度も何度もうなづいていた。

50余年も音信不通

健康でまた会おう

 広島県中区に住む沈載任さん(74)は、ソウル市麻浦区に住む姉と一緒に、故郷の忠清北道永同郡龍化面を訪ねた。

 長年、音信不通になっていた姉妹。互いに居所を探し合ったが、50余年も連絡を取れずにいた。載任さんは、両親とともに渡日し、結婚していた4人姉妹のうち、2人が故郷に残った。今では長女は亡くなり、すぐ上の姉の順女さん(79)だけが残っている。

 載任さんは以前、手紙を送ったが、順女さんの元には届かなかった。そのうち、順女さんに保安司令部から連絡があり、日本にいる載任さん一家のことを尋ねられることもあった、という。

 「それでもとにかく会いたくて。日本にいる親姉妹は、私たちを捜さず、手紙1つよこさないと恨んだこともあった」と、順女さん。お互いに探していたと知り、手を摩り合いながら涙を浮かべた。

 別れ際、載任さんは何度も姉に「これからも、健康に気をつけて、長生きして」と繰り返した。そして「総聯の訪問団としてまた、来るから」と約束した。

民族教育に深い関心

親族が一つになって

 福井市に在住する張春子さん(59)は、オモニ朴小先さん(78)とともに、大邱市寿城区に住む従兄弟の家を訪ねた。従兄弟の張永孝さん(69)は、海外に在住している人も含む60万人にも及ぶ仁同張氏凰★( 桑に頁)派の副会長を務めている。

 今回の訪問で自分の祖先を知り、自分が仁同張氏35世になると聞かされ、慶尚北道亀尾市にある仁同張氏大静舎にある、先祖の碑を訪ねた。

 日本の中学校を出てウリマルを学んだことがない春子さんは、子どもを朝鮮学校に通わせる一方、ウリマルを独学で覚え、またオモニ会の会長を長年務めるなど民族教育の発展に献身してきた。

 集まった親族たちは、春子さんの話に耳を傾けながら、民族教育に深い関心を寄せていた。そして異国の地でウリマルを学んでいることは大変立派なことだと述べ、親族が1つになって民族の和解に貢献しようと約束し合った。

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