備前焼・人間国宝 藤原雄さんを悼む

朝鮮の焼き物に強い憧れ


 備前焼の人間国宝・藤原雄さんが、10月末死去した。享年69歳。

 釉薬を使わず土そのものの味わいを生かす備前焼は、「土と炎」の激しい合体の中で生まれる。

 10年程前に取材させて頂いた。きさくな人柄で、「朝鮮と備前」について生き生きと語っておられたのを思い出す。

 雄さんは岡山県備前市生まれ。明治大学で日本文学を学んだ後、出版社に勤めたが、父で人間国宝の啓さんの病気で半年後に帰郷。父の仕事を継いだが、左眼を失明、右眼も0・04というハンディの中で修練の日を重ねた。

 5世紀の頃、朝鮮半島から渡来人によって日本にもたらされた須恵器。それが現在の陶芸や備前焼の源流となった、と雄さんは明快に語っていた。

 「朝鮮は日本の陶芸を生み出した母なる国ですよ」

 庶民の暮らしの中で息づき、いつまでも普遍的な美しさを保つ朝鮮の焼き物に強い憧れと愛情を抱きつづけた。

 瀬戸内海を眺望する自宅の工房には自作の大きな壺が置かれていた。

 「備前焼は思いつきやはったりのきかない仕事」というのが口癖だった。いつの時代にもみずみずしさを失わぬ「雄備前」の完成に精魂を傾けた生涯。

 伝統の世界に国際性を持ち込んだまれな人でもあった。世界中を旅し、ロンドンやパリの大学でも焼き物の講義をし、多くの外国人の弟子を育てるなど幅広い活躍ぶりだった。

 雄さんは備前焼の魅力を重ねて問う記者に「ひたむきな献身の美しさ」と答えた。

 土を愛し、伝統を生かしながら、時代にあった新たな命を吹き込もうと格闘した備前焼作家のあまりにも早い別れであった。(粉)

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