栃木県日光鉱山に強制連行された
朝鮮人犠牲者を追悼
「日本人が加害の立場で」
戦時中、栃木県塩谷町にあった日本鉱業日光鉱山に強制連行され犠牲となった朝鮮人の追悼式が11月10日、埋葬された同町内の山林にある墓地で初めて営まれ、関係者ら50余人が参列した。日本・朝鮮友好栃木県民の会(会長=飯塚昭吉・佐野市長)と朝・日合同による同県朝鮮人強制連行真相調査団が主催したもの。
主催者あいさつの後、地元住職による法要が行われ、参列者らが焼香した。 碑文には「朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」と明記されたほか、犠牲となった18歳、21歳2人、35歳の4人の名前も刻まれている。 朝鮮人犠牲者が判明したのは1986年、町史の近代史編さんを委託された宇都宮市に住む猪瀬建造氏が、鉱山会社の書類などから見つけたのが始まり。その後、同氏の調査と真相調査団の協力で、記録集「遥(はる)かなるアリランの故郷よ」にも事実関係が収録されるようになった。 真相調査団朝鮮人側団長の趙吉寿・総聯県本部顧問は「初めて追悼式を行うにあたり、地元の人たちの協力に深く感謝したい」と述べていた。また、猪瀬氏(真相調査団日本人側顧問)は「戦後56年にして初めての追悼法要であり、遅きに失した感もあるが、日本人が加害者の立場で謝罪と反省の意を込めて実施したものでもある。この日のために日朝の若者が協力して会場を作るなど、友好のきずなを深めることもできた」と語っていた。【栃木真相調査団】 |