ウリ民族の姓氏−その由来と現在(26)
「3姓穴」から現れた高、 良、 夫氏
種類と由来(13)
朴春日
「高(コ)・良『梁』(リャン)・夫(プ)」といえば、わが国最大の島・済州島を思い浮かべる人が多いだろう。
その昔、無人島であったこの島に、天上から高乙那(コ・ウルナ)・良乙那(リャン・ウルナ)・夫乙那(プ・ウルナ)の3神人が下り、碧陣(ピョクラン)国の3王女を娶(めと)って、耽羅(タムラ)国をつくったという神話は有名である。 史跡「3姓穴(サムソンヒョル)」は、その3神人が現れたところと伝えられるが、いまでも済州道には、この3姓を名のる後孫が多い。 まず高氏を見よう。本貫は100余を数えるが、最も有名なのは高句麗王族の高氏である。 周知のように、古代東アジアの強大国・高句麗の創建者は高朱蒙(コ・ジュモン)であった。その前身は句麗(クリョ)であるから、新しい国名には始祖王の高姓が冠されたことになろう。 その後、1000年ほど栄えた高句麗は、唐帝国と新羅によって滅ぼされたが、高氏を含む遺民集団は「海東の盛国」と讃えられた渤海(パルへ)を建国している。 そして、のちに王建によって樹立されたわが国初の統一国家・高麗(コリョ)にも、その後裔である高氏一族が多かったという。 一方、南部地方へ移住した高氏一族も少なくない。例えば、高句麗最後の宝蔵王の一族である高安勝は、黄海道載寧一帯で祖国を再建しようと試みたのち、新羅へ移っている。 済州高氏の始祖は、前述のごとく高乙那である。そして、ここから分かれた高福林が長興(チャンフン)高氏となるが、壬辰倭乱の時、勇名をはせた高敬命(コ・ギョンミョン)将軍は、この氏族の出身であった。 また開城高氏は高瑛、延安高氏は高宗弼(コ・ジョンピル)、潭陽(タムヤン)高氏は高得寿、宜寧(イニョン)高氏は高遠を始祖としている。高麗・李朝時代の文官と武官が多い。 次に良氏。のちに「梁(リャン)」と改姓するが、この氏族の本貫は80前後で、済州梁氏の始祖は先に述べたように良乙那である。 ここから梁能譲(リャン・ヌンヤン)を始祖とする南原梁氏が生まれたが、忠州梁氏は梁能吉、楊州梁氏は梁煕、羅州梁氏は梁認、林川梁氏は梁逖(リャン・チョク)をそれぞれ始祖としている。 最後に、夫氏の本貫は夫乙那を始祖とする済州夫氏だけだが、ここから分かれたのが楊州夫氏、幸州夫氏、義城夫氏、漢陽夫氏である。 古来、済州島には美人が多いと伝えられている。秀れて美しい風土がそれを育んだのであろうか。次回は申氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家) |