現場から−尹漢信(北関東朝鮮歌舞団団長・36)

在日オリジナルを目指し

同胞の喜びを追及するのがプロ


 北関東朝鮮歌舞団は埼玉、茨城、群馬、栃木、東北地方を活動拠点とし、日本全国を回っています。現在の団員は私を含め8人。総聯各組織の記念行事や同胞の結婚式はもちろん、日本の祭りやイベント、学校などで多彩な公演を年間約190本ほど行っています。そのほか、音楽制作や私がギタリストとして参加している在日同胞バンド「楽マダン(アンマダン)」とのジョイントによるライブ活動など、さまざまなニーズに応じて活動の幅を広げています。

 それまで副団長だった私は2カ月前から、団長の重責を担うことになりました。今まではただの「音楽バカ」でいられましたが団長として、財政や運営面の苦労も味わうことになりました。不況が続き同胞も組織も経済的困難を抱えている中、同胞に頼るだけでは限界があります。もっと日本の人や南の人に見てもらえるものを創造し、プロとして、商売になるものを作っていかなくてはならないと思っています。

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 初級部の頃は体が小さく、いじめられっこでした。強くなろうと空手を始め、相当「やんちゃ」もしました。でも、そこで音楽との出会いがあったから、それ以上悪い道に行かなかったのだと思います。

 高級部の時、学校では空手部をやりながら、日本の友人たちとバンド活動に励んでいました。当時、同胞でロックバンドをやっていた人は少なく、楽器屋で知り合った日本の大学生と一緒に組んだバンドでした。

 そのバンドは、地元では知られる存在となりましたが、仲間たちは次々と大学を卒業してバラバラになってしまいました。そのうちの何人かは上京し、今もプロとして活躍しています。彼らの誘いもあり、私も朝高卒業後、ロックギタリストとして一旗あげようと上京を決意しました。しかし父に、音楽をやるなら同胞の前でやれと反対され、東海朝鮮歌舞団に入団することになりました。

 入団直後、祖国で行われた研修でアコーディオンと出会いました。すっかりとりこになり、自腹で楽器を購入して練習に励みました。90年には、全日本アコーディオンコンテストで2位にもなりました。シンセサイザーも学び、作曲、編曲やカラオケ制作にも取り組みました。同胞による同胞のための歌がもっと必要だと思ったからです。歌劇団の公演にヘルプで出演する機会もありました。また昨年、在日コリアン有志で組んだバンド、「楽マダン」による活動もスタート。歌舞団と並行させ、さまざまなチャレンジを重ねています。

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 やはり、同胞たちが喜んでくれることが何よりもうれしく、やりがいを感じます。私の音楽歴はそもそもロックから始まりましたが、ジャンルで好き、嫌いはありません。同胞が喜んでくれるのなら、対象とするお客のニーズに合わせて何でもやる――それがプロ。それを、いかに私たち独自のオリジナルなやり方でやれるかが大切です。私たちは、祖国の真似事ではない在日同胞にしかできないものを追求していかなくてはなりません。

 北関東朝鮮歌舞団としての当面の目標は、一つでも多くの公演を行うこと。それはつまり、同胞を訪ね、同胞の中に入ることです。待つだけでなく、こっちから仕掛けていかなくてはなりません。そのため私たちは、団員全員でアイデアを出し合い、どんどん既成のスタイルを壊そうとしています。演目を変えるだけでなく、新しい楽器を入れたりトークに挑戦したり、場を盛り上げ同胞に楽しんでもらうための工夫は惜しまないつもりです。

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