ブラジル人学校各地に続々設立

帰国に備え母国語学ぶ
日本学校になじめず転校も

幼稚園の年長組。みんな元気いっぱい(小牧市のエスコーラ・ドルモンド) ブラジルの歴史を学ぶ4年生。本国と同じ教科書を使い、言葉はポルトガル語(小牧市のエスコーラ・ドルモンド)

本国で認可、資格も

 1990年の入管法改定によって日系人に対する在留資格付与条件が緩和されたことなどにより、90年代を通じてブラジルやペルーなど南米諸国の日系人が職を求めて多数来日し、暮らすようになった。その数はこの10年間で40倍以上に増え、その大部分を占めるブラジル出身者は、2000年末の法務省統計によれば約25万4千人。約63万5千人の在日同胞、約33万5千人の中国人に次ぐ数で、全外国人の15%を占めている。

 南米出身日系人が定住化するようになるにつれ、本国から家族を呼び寄せることも日常化し、学齢期にあたる子どもの人口が増加。その教育問題が浮上した。

 当初は日本の学校へ通わせるしかなかったが、近年、保護者のニーズからブラジル人学校が急速に増えている。市民団体の調査によると、95年に愛知県豊田市に開校したのが最初。ブラジル人の多い愛知、静岡の両県に集中しており、比較的多い群馬、栃木、三重、岐阜、長野、埼玉、茨城の各県にもある。

 本国の認可を受けていても日本での学校法人認可は受けておらず、有限会社として運営しているところがほとんど。規模は数十人〜数百人とさまざまだ。

設備貧弱、苦しい運営

 愛知県小牧市にある「エスコーラ・ドルモンド」は99年3月に開校。ブラジル教育省の認可を受けているがやはり登記上は学習塾で、「有限会社ドルモンド」だ。

 現在の児童生徒数は幼稚園(年少・年中・年長)と1年生〜8年生(日本の小・中に相当)まで、3〜15歳の103人。開校時は33人だったというから2年足らずで3倍以上に増えたことになる。来年度からは高校もスタートさせる。教職員は計19人。校長、教師は全員ブラジル教育省が定める資格を持っている。

 月謝は3万8千円。ここに教材費4千円、送迎費2千〜5千円が加算される(幼稚園は給食費1万円も)。決して安くはない。

 ブラジル教育省の認可を受け、同国の教育基本法に準じた教育が行われているため、ブラジルに戻った際の編入や進学がスムーズ。教材は、ブラジルの有名私立校と契約して同じものを使っている。年度は1月〜12月の4学期制。1〜8年生までという学制やポルトガル語、ブラジルの歴史、地理、社会のほかに算数、理科、芸術、体育、英語などを学ぶ教科内容も本国とまったく同じだが、外国語として日本語をカリキュラムに加えているのが特徴だ。コンピューターやスポーツなど、希望に応じて細かく分けられた課外活動も活発に行われている。

 ただし、運営は苦しく設備は貧弱で、まさに草創期の朝鮮学校を思い出させる。

共通点と違いと

 昨年実施した校内アンケートによると、滞日4〜5年が多く、まだ日本で生まれた子は少ない。渡日理由は経済問題、つまり両親が仕事を求めてきているケースが圧倒的だ。

 日本に住んで困ったことはやはり言葉の問題。こうしたギャップやいじめなどのため、日本の学校から転校してくる子も多い。1度転校してくると、日本の高校、大学への進学を目指す子はほとんどいない。

 今のところ4〜5年で戻る人の方が多く、日系ブラジル人たちがブラジル人学校に求めているのは「本国に帰って困らないための教育」、主に母国語のポルトガル語教育だという。そのため、日本での学校法人認可より本国教育省の認可が優先されたと言えよう。解放直後、帰国に備えて母国語を習得させようと作られた草創期の朝鮮学校と似た部分がある。

 ドルモンドの佐藤・ミルトン・雅昭塾長は「日本の学校では言葉を学べないし、どうしてもなじめない子どもも多く、ブラジル人によるブラジル人の学校が必要だった」と語る。

 渡日における歴史的経緯は在日同胞と異なるものの、存在する背景に日本政府の政策があるなど共通点も多い。今後の行方に注目し、「先輩」として、可能な部分での協力を模索していくことは双方にとってプラスとなるのではないだろうか。(韓東賢記者)

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