新しい味を追求、新食材の活用を
2001年度朝鮮料理(焼肉)店経営集中講座
在日本朝鮮人商工連合会・同胞飲食業者協議会主催の2001年度朝鮮料理(焼肉)店経営集中講座の第2回目が13〜14日、東京・上野の朝鮮商工会館で開催され、全国各地から50余人が参加(定員制)した。「新世紀、今こそ!
朝鮮料理の味とサービスの真髄を探る」というテーマに沿って10月と今回の2回にわたって行われた本講座は、「BSE(狂牛病)問題で頭を痛めている時期だからこそ味とサービスを徹底的に追求し、経営のレベルアップを図り、さらには参加者間の人脈とネットワークを形成していく契機となった」(安海元・同協議会会長)。(羅基哲記者)
今回の講座では、メニュー開発に定評があるコンサルタントで、多数の企業の契約顧問として活躍している押野見喜八郎氏と、恵クリニック院長で医学協会東日本本部顧問の韓啓司氏が講演。また、グループ別店舗見学および意見交換、報告会、同協議会の金奉讃副会長の司会で、神奈川・川崎のコリアタウン近くにある焼肉海鮮「山水苑」の金相水専務(42)と、東京・恵比寿を拠点に9店舗を展開する炭火焼肉「トラジ」の金信彦社長(36)による経験座談会「私はこうして自店を強くする」が行われた(発言要旨)。 「お客の味覚を唸らせるメニュー開発」と題して講演した押野見氏は、@進化する消費者A情報化と商品開発B求められる新しい価値観C安全と健康への配慮D「味」でお客を唸らせるE「ファン」をつくる味づくりF「顧客」から「ひいき客」へ――の体系で発言した。 その中で新しい味づくりについて、例えばつけだれの場合、みそ、ごま油、レモン、カボス、すだちなどを加え新しい味を開発したり、ネギ塩にするなどの努力も必要だと語った。 また、ケジャンのカニをエビに変えるなど素材の組み合わせを変えたり(お勧め商品にもなりコストダウンにもつながる)、朝鮮の餅を使ったトックやトッポッキなど日本人には浸透していない食材を使用したり、バニラアイスにゴマハチミツソースをかけたデザートの充実化など、新メニューを増やすことができると強調した。 BSE問題と関連しては、牛肉の消費が減るのを前提に考えた場合、和牛がダメだという人のために@メインを一時的に輸入牛にしたりAブランドにこだわりながらブタやトリなど牛以外のもので売り上げアップを図ることも考えるべきだと指摘した。 韓氏は「朝鮮料理に秘められた効用を徹底研究」と題し講演。ヤンニョムと薬味、唐辛子、ニンニク、ゴマ、朝鮮人参、キムチの効用などについて言及した。 参加者らは、「講座の内容を経営に生かしていきたい」「総合的な視野での朝鮮料理店の経営が必要だ」「料理人らしく初心に戻って自分を磨いていきたい」「若い経営者たちのパワーに見習い、BSE問題も吹っ飛ばすような気持ちで店を守り立てていきたい」などと感想を語っていた。 金相水・焼肉海鮮「山水苑」専務 オモニが始めた店を受け継いだ。1990年代に入り、焼肉ブームの時に新しいスタイルを模索し始め、「焼肉専門店からレストラン形式の焼肉店へ」とのコンセプトを明確にした。そして昨年11月、150人収容の店にリニューアルした。売り上げは約3倍に伸びた。その要因は、過去3回にわたって参加した本講座で学んだことを実践に移したところにある。 まずは店作り。子ども連れの家族がゆっくりできるよう、天井を高くし、テーブルごとに仕切りを設け半個室にした。窓際にはテラス席を設けた。 次にメニューは中華料理を参考にして、前菜・刺身、サラダ、海鮮、野菜焼、焼肉、お食事、麺類、スープ、チゲの順で配置したところ、全般的にバランスよく注文が入るようになった。メニューの左上にそれまであまり出なかったものを置くと、出るようになった。そして客単価も上がった。器も陶器を使用した。 チラシを作成する際には、取引業者に協賛店を募り、出費のコストダウンを図れた。 BSE問題の対策として、イベントを実施した。創業25周年、リニューアル1周年もあったので、生ビールとカルビを半額にし、新メニュー(タッカルビ、ブタカルビ、海鮮盛合せ、モツ鍋、トントロなど)の半額券、20%割引お食事券をチラシに付けた。食材の仕入れ業者の協力も得た。また神奈川県商工会主催の焼肉祭で実施した懸賞付アンケートで700組の顧客データを取得。ハガキで30%割引お食事券を配った。 こうした結果、BSE問題で6〜7割減った売り上げも、今では3〜4割減まで持ち直すことができた。 言葉も知らず日本に連れてこられた1世たちの苦労を考えれば、BSE問題は乗り切れる。落ち込むのではなく、もっと店をよくするためには何をすべきかを引き続き考え、実践に移していきたい。 金信彦・炭火焼肉「トラジ」社長 朝鮮大学校卒業後、東京・門前仲町でオモニが営んでいた店で6年間修行を積み、オモニの助言もあって6年前に独立。恵比寿に18坪6テーブルの店を構えた。元々「ビアバー」だった居抜き物件で、その雰囲気を残して七輪を置いて始めた。現在はそこを拠点に銀座や有楽町、日比谷、西麻布などで9店舗を展開しているが、当初は家族が食べていければという思いしかなく、店舗展開などは考えてもいなかった。 ただ、妻やスタッフとともに、どのような店を作るのか、どうすればお客様に満足していただけるかといった論議は毎日のようにしていた。そして、無我夢中で働いた。午後5時オープン、11時オーダーストップだったが、お客様がいれば夜の3時、4時まで営業を続けた。 メニューをポップでアピールしたところ、それが売れた。きゅうり丸ごと1本なども。お客様が望んでいるものを提供するという、現営業部長のざん新なアイデアだった。嘘はつかず正直な商売を心がけた。 そうしているうちに、行列ができる店となり、近くに2店舗目をオープンさせた。 現在、スタッフは約150人で、平均年齢は26歳。その8割が独立を志向しており、上場の目標達成後は、その彼、彼女らの独立開業を支援していきたい。 ここまで店を発展させてこられたのは、おいしいもの、行き届いたサービスを提供するには何をしなければならないかという、経営者としての心構えを教えてくれたオモニのおかげだ。 |