愛知名東トンネ憩いのマダンで寸劇

ウリマルサークル「イッポ」


 11日、愛知・名東トンネ憩いのマダン(名東同胞生活相談綜合センターが運営する高齢者施設)で寸劇「テマンハルモニのおはなし」が上演された。テマンハルモニとは、名古屋市大曽根を中心にした総聯名東支部界隈で、「みすぎ(娘さんが経営していた居酒屋)のハンメ」と呼ばれて親しまれていた金泰萬ハルモニ。寸劇は、愛知県強制連行真相調査団が「あいちウリマルサークル『イッポ』」と共同で、1920年代に豊橋の製糸工場へ強制連行されてきたハルモニの苦難の人生を語り継ごうとつくったもの。4年前、ハルモニの証言も収録された「朝鮮人強制連行調査の記録―中部・東海編」の出版祝賀会での初演以来、全国16カ所で上演されてきた。今回は昨年10月、89歳で亡くなったハルモニの1周忌に際し企画された。

遺族、親友らが鑑賞

多くの地域同胞が金泰萬ハルモニを偲んだ(11日、愛知・名東トンネ憩いのマダン)

 寸劇の出演者は、泰萬ハルモニ役の李銀淑さん(29、建築士)と親友だった金道枝ハルモニ役の蔡一恵さん(29、愛知第7初級教員、共にあいちウリマルサークル「イッポ」所属)、そして合間合間で印象的な演奏を聞かせるチャンゴ奏者の李巴子さん(ハヌル・タン主宰)の3人。ハルモニ2人が会話する形で、泰萬ハルモニの人生が語られる。

 この日の上演を、泰萬ハルモニと親しかったハルモニたちをはじめ地域同胞らが鑑賞した。また会場には、泰萬ハルモニの四女の全芳子さん(59)と五女の鳳南さん(52)、末息子で次男の鳳光さん(47)も訪れた。

 鳳南さんは「見せてもらったのは2回目だが、今日はここで見てもらえて本当にうれしく思う。オモニはこのトンネが大好きで、トンネの人々に愛されていたから。国と民族を愛し、同胞を愛し、同胞に愛されたある意味朝鮮人の鑑(かがみ)だった。オモニを追慕するためにこんなにたくさん集まってくれて、本当にオモニは幸せだ」と語っていた。

 この寸劇を初めて見たという鳳光さんは「オモニは私たち子どもの前では昔のことを一切話さなかった。今日、これまで知らなかった事実を初めて知り、泣きそうになるのをこらえながら見ていた。演技も本当に上手で、オモニのことを思い出した」と語る。

 親友だった金道枝ハルモニ(90)は「先に逝ってしまって寂しいが、今日は楽しかった。たくさん思い出したよ」と、喜びながらも少し寂しそうな表情を見せた。

歴史と生き様知って

 泰萬ハルモニを演じた李銀淑さんは以前、名東支部で働いていたことがあり、支部に毎日訪れるハルモニの話をいつも聞いていて、当時からよく口まねをしては周囲を笑わせていたという。「1人でも多くの同胞、そして日本人にも在日同胞1世のこと―その歴史と生き様を知ってほしいという思いで演じてきた。ハルモニが亡くなって今日は初めての上演。遺族の姿も見えて緊張したが、がんばってみた。これからも機会があれば続けていきたい」。

 この日は寸劇のほかにも生前の泰萬ハルモニが1度だけ受けたテレビ取材のビデオも上映され、みな、涙ぐみながらモニターを見つめていた。寸劇の後には女性同盟名東支部の申美貴委員長の手料理による昼食会が開かれ、ハルモニたちと出演者、同胞らは泰萬ハルモニの思い出話や昔話にいつまでも花を咲かせていた。

 申美貴委員長(相談センター副所長)は「組織が大好き、同胞が大好きなハルモニだった。本当は生きているうちにやってあげたかったが、少しは喜んでもらえただろうか。泰萬ハルモニは亡くなったが、これからも地域の1世たちに楽しい余生を送ってもらうため、『憩いのマダン』事業の充実を図っていきたい」と語っていた。(韓東賢記者)

同胞、支部、国を愛したハルモニ

13歳の時に強制連行  苦難の人生、昨年死去・金泰萬さん

 金泰萬ハルモニは1911年8月、慶尚北道尚州郡で生まれた。日本の植民地だった朝鮮。両親は貧農で生活は苦しかった。「ここでは食べられないから」と、泰萬ハルモニの母はハルモニが13歳の時、相愛会(当時の職業斡旋団体)の「募集」に泣く泣く娘を託す。ハルモニは豊橋の製糸工場に連れて行かれ、3〜4年間働かされたが1銭ももらえなかった。

 その後自転車屋の子守り、名古屋の製糸工場などを経て結婚したが、42年に夫は「徴用」されてしまう。解放後も夫は戻らず5人の子どもを抱えて死に物狂いで生きた。解放から3年後、南方でマラリアにかかって死にかかり、解放後は南朝鮮へ送られていたという夫がやっと家族のいる日本へ帰ってきた。しかし苦労がたたったのか夫は50歳で先立った。

 国を愛し、総聯支部を愛し、同胞を愛したハルモニ。結局、8人の子どもを立派に育てあげた。さばさばして男勝りな性格は、同胞たちに「みすぎのハンメ」と呼ばれて愛された。人に迷惑をかけるのが大嫌い――1世女性の典型のような人だったという。毎日、名東支部に足を運び、トンネのハルモニたちと過ごすのが日課だった。

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