ウリ民族の姓氏−その由来と現在(20)

瓢状の卵から生まれたから朴氏

種類と由来(7)

朴春日


 朴氏の始祖伝承は、「三国史記」新羅本紀の冒頭、「始祖の姓は朴氏、諱(いみな)は赫居世(ヒョクコセ)である。紀元前57年4月丙辰の日に即位し、王号を居世干(コセハン)という」とあり、次のようにつづく。

 遠い昔、古朝鮮から多数の移住民が南下し、辰韓(チンハン)の山間に6つの村をつくって暮らしていた。

 ある日、高墟(コホ)村の村長・蘇伐公(ソボルコン)が楊山の麓を見ると、蘿井(ラジョン=慶州)の林の中で、馬がひざまずいて嘶(いなな)いていた。

 不思議に思って駆けつけると、馬の姿は消え、大きな卵が残されていた。割ってみると、りりしい童子が現れたので、慈しんで育てた。こうして、その童子が雄々しく聡明な若者に成長したので、村人たちは彼を崇め、始祖王に推戴した。

 辰韓では瓢(ひさご)を「박(朴=パク)」、つまり「바가지(パガジ)」といったが、村人たちは始祖王が瓢のような卵から生まれたので、その姓氏を朴とし、光り輝く王という意味で「赫居世」と名付けたのである。

 また、その昔、閼英(アルヨン)という井戸に龍が現れ、その右脇から幼女が生まれた。ある老婆が奇跡と思い、閼英と名付けて育てると、麗しく心やさしい娘に成長した。

 そのうわさを聞いて、始祖王が娘を王妃に迎えたところ、民百姓の人望高く、辰韓の人々は始祖王と王妃を「二聖」と呼んで敬ったという。

 以上が正史の伝承であるが、後代の「典故大方―萬姓始祖篇」は、朴赫居世の王子8人の後裔として、密陽(ミルリャン)朴氏、尚州朴氏、咸陽朴氏、高霊(コリョン)朴氏、慶州朴氏などを挙げているという。

 このうち、最も有名なのは密陽朴氏で、始祖は高麗第11代の文宗時代、総理格であった朴彦孚(パク・オンブ)である。彼は国王から「大師先生」と敬われた人物で、同じ本貫には李朝の著名な詩人・朴斎家がいる。

 朴氏の本貫は320前後と見られ、その始祖には高麗・李朝時代の著名な功臣や高官、学者や文人たちが多い。

 主な本貫を見ると、まず潘南朴氏の始祖は朴應珠で、実学の大文豪・朴趾源(パク・チウォン)と、高名な農学者・朴世堂はこの氏族の出である。

 また竹山朴氏の始祖は朴奇晤であり、務安朴氏は朴進昇、尚州朴氏は朴甄(パク・ヒョン)、咸陽朴氏は朴善、高霊朴氏は朴還、昌原朴氏は朴奇、慶州朴氏は朴徽、順天朴氏は朴淑貞、義昌朴氏は朴有華、忠州朴氏は朴英、陰城朴氏は朴玄柱、蔚山朴氏は朴允雄とつづく。

 壬辰倭乱のとき、詩人の身で水軍の将帥となり、数々の勲功を立てたばかりでなく、愛国的な長編詩「太平詞」を残した朴仁老(パク・インロ)は、安東朴氏の出である。次回は崔氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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