ウリ民族の姓氏−その由来と現在(19)

500年国権掌握した全州李氏

種類と由来(6)

朴春日


 李氏の本貫は、かつて470本を数えていたから、やはり金氏につぐ大姓である。

 代表的な本貫をあげると、全州李氏を筆頭に、慶州李氏、延安李氏、全義李氏、広州李氏、韓山李氏、徳水李氏、龍仁李氏、咸安李氏、陜川李氏とつづく。

 わけても全州李氏が有名なのは、李朝500年、この氏族がわが国の国権を掌握していたからである。

 先のチョ・ヒスン氏は、「全州李氏の李成桂が高麗の国権を簒奪(さんだつ)し、李氏朝鮮をうち建てたので、全州李氏の人々は権勢をふるい、世にはこの氏を称える人が多くなった」と指摘している。

 全州李氏の祖先は、新羅の高官であった李翰(リ・ハン)で、彼の後孫である李安社(リ・アンサ)、つまり李成桂の高祖父は官妓のことで郡庁と争い、高麗の義州へ逃れた。そして彼は武官となったが、元の侵略軍が攻め寄せると、あえなく投降したという。

 その後、彼の曾孫・李子春とその息子の李成桂は、高麗の領土奪還の戦いに参加したが、李成桂は国王の命に背き、世にいう「威化島回軍」、つまり敵前で兵を返して逆に国王を追放し、李氏朝鮮を建国したのである。

 のちに李成桂の後孫たちは、全州に慶基殿を建立して祖先を祀り、その隣の実録閣に「李朝実録」や「高麗史」など、貴重な史書類を保管したという。

 つぎに、仁川李氏の始祖・李許謙は高麗・顕宗時代の文官で、彼の息子が李翰であり、李子淵、李子祥はその孫にあたる。

 とくに李子淵が娘を第11代・文宗の王妃にしたことから、権力はこの氏族に集中し、次の順宗、宣宗、粛宗、そして仁宗は、すべて仁川李氏から王妃を迎えている。

 光州李氏の始祖は、泰封(テボン)国王・弓裔(クンエ)の後孫であるc白(スンベク)で、彼の代に科挙の文科に合格し、名を知られたという。

 徳水李氏の始祖は李敦守(リ・ドンス)で、高麗の武官であったが、この氏族から、わが国の有名な愛国名将・李舜臣(リ・スンシン)将軍が生まれている。

 咸安李氏の始祖は、高麗の名将・李芳実である。彼は紅巾賊が侵入をくり返すたびにこれを撃退、後世にその名を残した。

 慶州李氏の始祖は李謁平(リ・アルピョン)で、その先祖は古朝鮮時代にさかのぼるが、全義李氏も歴史が古く、始祖・棹歯(ト・チ)は、高麗建国時の功臣である。

 光州李氏の始祖は、新羅の奈勿(ネムル)王時代、内史令という官職を務めた人物である。

 また龍仁李氏、清州李氏、碧珍李氏、遂安李氏は、みな高麗時代の功臣が始祖であり、星州李氏と京山李氏からは高麗王の婿が出て、権勢があったという。

 このほか、高麗の有名な学者・李承休を始祖とする加利李氏などが知られている。次回は朴氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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