ウリ民族の姓氏−その由来と現在(18)

後に移住してきた金海金氏

種類と由来(5)

朴春日


 金海金氏の始祖伝承は、「三国遺事」の「駕洛(カラク)国記」に直結する。物語はこうである。

 はるかな昔、金海地方(いまの慶尚南道金海)に9つの村があり、7万5千人ほどの人々が住んでいたが、ある年の厄よけの日、北側の亀旨峰(クジボン)から不思議な声が聞こえてきた。

 そこで大勢の村人たちが峰の下に集まると、どこからともなく、「天神がわれに、この地の王になれと命じた。汝ら頂きを掘り、『亀よ亀よ、首を出せ。出さずば焼いて食らうぞ』と歌え」というお告げがあった。

 村人たちがそのとおりにすると、天から金色の箱が下りてきたので、開けてみると黄金の卵が6つ入っていた。みんなが驚き、喜んで拝んだ。そして、その卵を村長の家に安置した。

 すると翌朝、その卵が6人の童子に変わっていたので、村人たちが手厚くもてなすと、やがて9尺ほどの身の丈になった。そこで、最初に現れた雄々しい童子を「首露(スロ)」と名付け、金の卵から生まれたというので「金」という姓氏にした。

 こうして、この金首露が金官(クムカン)伽耶国の始祖王となり、ほかの5人の童子もそれぞれ各地で5つの伽耶小国を建て、その主となった。これが六伽耶の誕生であり、その主導権をにぎったのが金首露王である。

 この説話は、北部地方から6人の兄弟、つまり親族関係を持った政治集団が金海地方に移住し、土着勢力と連合して伽耶国(駕洛、加羅ともいう)を創建した史実を反映している。

 伽耶国は6世紀に入って新羅に統合された。そこで同国の王侯貴族は都の慶州へ移ったが、そのことから新羅の人々は、もともと都にいた金氏を慶州金氏と呼び、のちに移住してきた金氏を金海金氏と呼んだのである。

 つぎに、金寧(クムニョン)金氏の始祖・金時興は、新羅最後の王・敬順王の6世孫・金ボンリンの4男である。彼は高麗の仁宗に仕えて功を立てたという。

 また順天金氏は、慶州金氏の金チョンから分かれた氏族であり、清道金氏の始祖・金之岱(キム・ジデ)は、高麗の高宗のとき、この姓氏を称したといわれる。

 さらに、尚州金氏の始祖・金儒(キム・ユ)は新羅・敬順王の後孫であり、ほかに永同金氏、原州金氏など数多くの金氏がいるが、そのほとんどは慶州金氏と金海金氏から分かれ出た氏族だ。

 彼らの多くは、高麗・李朝時代に勲功を立て、自分たちが住んだ土地を本貫としたわけである。

 元来、金氏の本貫は500近くもあったという。1985年の南朝鮮の統計では285本となっているが、この数字と共和国側の金氏の本貫を合わせれば、やはり500近くになるであろう。次回は李氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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