フォーラム  「記憶」の共有を求めて

高橋哲哉・東京大学助教授の講演

過去の克服ができない日本

講演をする高橋哲哉・東京大学助教授 会場となった早稲田奉仕園小ホールには100人の参加者が集まった

 10月11日、東京・新宿の早稲田奉仕園小ホールで、歴史事実の真相究明を求めるフォーラム「『記憶』の共有を求めて」が、約100人の参加のもと開催された。高橋哲哉・東京大学助教授の講演をメインに行われたフォーラムは、昨年10月の国際シンポジウム「戦争と紛争の世紀の終わりに−今なぜ真相究明なのか」の1周年を記念して、真相究明の現状を再検証する場となった。高橋助教授は、講演に先立って「過去の克服が出来ない国=日本」というイメージが、この1年で改善されたのか?と問いかけながら、「この上ないくらいに悪化した」と指摘。「つくる会」教科書の検定合格、小泉首相の靖国参拝などについて触れた。そのほかにフォーラムでは、参加者の中から荒井信一(駿河台大学名誉教授)、安藤正人(国文学研究資料館教授)、大畑龍次(「朝鮮の虐殺」翻訳者)、大矢道子(埼玉・新座市議会議員)、金田誠一(衆議院議員)、瀬古由起子(衆議院議員)、田中甲(衆議院議員)、徳留絹枝(在米リサーチャー)、保坂展人(衆議院議員)、吉川春子(参議院議員)、西野瑠美子(ルポライター)さんが発言した。

 高橋助教授の講演の要旨は次のとおり。

 90年代に入り、過去を克服しようとする努力が、世界各国で行われている。

 1994年8月に、ドイツのヘルツォーク大統領が、ワルシャワ蜂起記念碑前で「すべてのポーランド人犠牲者の前に」「ドイツ人が彼らに対して行ったすべての行為について赦しを請う」と述べたことは、国際的に高く評価された。99年12月には、ナチ時代のドイツ企業による強制労働被害者120万人への補償財団「記憶・責任・未来」の設立に合意、ドイツのラウ大統領が「ドイツ国民の名において許しを請う」と声明を発表した。近年ヨーロッパではホロコーストの責任が、ヨーロッパスタンダードとして共有されてきた。こうした流れの中、ホロコースト否定論の主張には、「ホロコーストはなかった」などというものがあるが、それらは学術的にも認められないばかりか、法的に共有できないものとして規制されている。

 日本は、ドイツがユダヤ人に対して迫害を加えたのと同じく、植民地支配に対する免れない責任を持っている。しかし、「記憶」の一致すら成されていないこの国では、規制はおろか書店に行くと「つくる会」の書籍がずらっと並び、過去の過ちを問いただすようなものは隅の方に追いやられているのが現状である。

 先のホロコースト否定論のそれを日本に置き換えてみると、「南京大虐殺はなかった。『性奴隷制』としての日本軍『慰安所』制度もなかった」などとなるが、これと同じような主張で作られた教科書が、文部科学省の検定を通過してしまったのだから、ヨーロッパと日本のあまりの違いにがく然とせざるを得ない。

 ドイツは、ナチの時代に犯した過ちを公的に反省、補償し、責任者に対する処罰を行った。しかし日本は、戦前に対する執着をいまだ断ち切ることができないでいる。それは人的、制度的、思想的にも連続性の強いものとして残されている。

 この連続性をいかに断ち切るか、それを考えると真相究明の必要性を気付かずにはいられない。歴史事実として何があったのか――。

 大日本帝国が植民地支配、戦争において、何をしたのか、真相を知らなければ、それに対する判断が下され、責任を取ることができない。

 記憶はもともと個々人の中にあるもの。ここで言う、共有すべき記憶とは、社会的な記憶を意味している。言いかえるならば、社会的に共有される歴史認識ということ。ドイツでそれを確立したように、日本でもアジアの人々と社会的な記憶、歴史認識を共有したい。(文責・編集部)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事