千葉殺人放火事件から3年
県警は犯人逮捕に全力を
進まね捜査、同胞社会にいらだち
羅勲副委員長の追悼式に集まった同胞たちは、事件の真相究明と犯人逮捕を固く誓った(15日) | 放火された千葉朝鮮会館の当時の様子(1998年10月) |
総聯千葉県本部、千葉支部などが置かれている千葉朝鮮会館を何者かが襲い、宿直していた羅勲・総聯千葉支部副委員長(当時42歳)を残忍な方法で殺害し、会館に放火するという前代未聞の事件から3年――。しかし、事件の真相究明と犯人逮捕は遅々として進んでおらず、地域同胞社会の不安はつのるばかりだ。
不誠実な態度 康東勲・総聯千葉県本部副委員長は19日、千葉県警の伊藤哲朗本部長あてに申入書を提出。犯人逮捕に全力を尽くすことを求めるとともに、事件の捜査本部の有無や捜査の進捗状況をただした。しかし、応対した県警の川島邦芳総務部広報課課長代理は「私は知らない」と言い放ち、「自分は申入書を渡すだけだ」と冷ややかに答えた。 事件直後、120人体制で出発した県警の捜査本部だが、3年たった今も解決の糸口は見つかっていないという。事件直後から毎日のように顔を出していた捜査員も、昨年の春からはぱったり来なくなった。 こうした動きを知った地域同胞の間では「捜査本部は縮小、あるいは解散したのではないか」といううわさが流れ、同胞活動家の尊い命が犠牲になった事件が迷宮入りすることを憂慮する声は絶えなかった。 総聯本部が県警に申し入れをするのは今回で5回目。これまでも「現在調査中だ。捜査に全力を尽くしている」との答えを繰り返してきた県警だったが、事件の担当ではないものの「知らない」と返答したのは初めてだった。 捜査本部の有無すら明かさない県警の不誠実な対応に同胞の怒りは爆発。申し入れに訪れた8人の総聯代表は35分間、この間のいらだちと怒りを交えながら真剣な捜査を求めた。 理解しがたい行為 申し入れの場で同胞の怒りが爆発したのは、犯人を追うべき警察の理解しがたい行動があったからだ。 事件から1年を迎えようとしていた1999年9月22日、千葉朝鮮会館に出入りするある日本人業者は突然、事件の捜査を担当している県警捜査一課長から脅しとも取れる暴言を浴びせられた。「なぜ総聯と取り引きするのか」「総聯の人間は北朝鮮で教育を受けて活動する日本の敵だ」――。 総聯本部はこの件に関し、会館の担当捜査員を通じて暴言が捜査本部の指示によるものなのか、捜査員個人の判断なのかを明確にするよう抗議したにもかかわらず、逆にその後捜査一課長は業者を訪ね、「なぜ総聯に告げ口したのか」と不当な圧力をかけた。 それ以前にも捜査員がこの年の2月9日に朝銀職員を、9月14日には総聯職員を尾行していたという事実が明らかになった。 また県警の捜査員は、羅さんのオモニを訪ねるたびに「総聯が協力してくれない」と示唆していたという。総聯本部のある活動家は、捜査に全面的に協力した総聯を侮辱し、犯人扱いする県警の対応に「怒りを覚える」と憤慨する。 今も深い悲しみ 現在、故羅勲副委員長のオモニは、生前の羅さんと住んでいた千葉市内の団地で1人暮らしをしている。総聯支部では毎月1回、訪ねては世間話をする。「今でも息子が帰ってくるようだ」とつぶやく姿はいつ見ても胸が傷むと李英植・支部委員長は話す。 今回、県警への申し入れに加わった同胞女性(28)は、「県警の対応は心の通うものではなかった。本来協力し合うべきなのに…。これでは亡くなった羅さんに申し訳がたたない」とくやしさで一杯だった。 このたび総聯本部は県警に対し、犯人逮捕を求めるとともに米国でのテロ事件に便乗して同胞に対するいやがらせ、暴力、脅迫などが起きないよう、事件を未然に防ぐことも合わせて要望した。それは、事件が解決されていないことが同胞の不安をいっそうかきたて生活を脅かしているからだ。事件は狂乱的な「ミサイル騒動」の渦中に起こったもので、その後も同胞や朝鮮学校生徒に対する暴言やいやがらせは続いている。 活動家が惨殺されたテロ行為は二度と繰り返されてはならない。千葉県警は捜査をいっそう強化し、犯人逮捕、事件の真相解明に全力を尽くすべきだ。 |