語り継ごう20世紀の物語
金永淑さん(91)
58年前、神戸に「元祖平壌冷麺屋」開き
今は5店の細腕繁盛記
全永淑さんにとっては、平壌は正真正銘の故郷である。生まれ育った土地のイメージは、どうにもぬぐいされるものではない。全さんのまぶたに浮かぶ平壌は――。
「端午の節句の日に牡丹峰で真っ青な空に向かってノルティギ(板跳び)遊びをやって楽しかった。冬になると大同江の氷の上で滑ったり。夏は水遊びをしたり…」 万寿台の丘や乙密台、普通門あたりも懐かしい遊び場。生家は金日成広場の辺りにあった。平壌で仲買人をしていたアボジとやさしいオモニ。兄と弟に挟まれた一人娘として、溺愛された子供時代だった。「あんまり私を可愛がるので、兄弟にやきもちを焼かれたもの。小さい頃、平壌冷麺が食べたくなるとオモニに『おなかが痛い』と訴えて、出前を頼んでもらったのを覚えています」 1910年、日本の韓国併合の年に生まれた全さん。17歳で同郷の張模蘭さんと婚約。親が決めて、写真でも相手を見たことがなかった。しかし、幸せはここでは成就できなかった。植民地下で貧困が進み、泣く泣く離農離郷する人が増加していった頃。婚約者も仕事を求めて日本へ。2年後には全さんも後を追って神戸に来た。ここで結婚式をあげ、それ以来72年間の異郷暮らしだ。 2人はひたすら働いて、暮らしの根をおろしていった。飯場を営み、靴屋やゴム作りに精を出した。靴と米を交換したことも。食糧難の時代、5男1女に恵まれて、必死に子供たちを食べさせた。 そんなある日、夫の知り合いが平壌から麺を押し出す筒を持ち込んだ。記憶の奥に眠った懐かしい光景が全さんのまぶたに浮かんだ。 「麺食い腹は別にあり」と言われるほど冷麺は朝鮮では特別のメニュー。全さんも食事の後でもよく食べた。「もう一度、あの故郷で親しんだ冷麺が食べられたら…」。思いは膨らんでいった。 夫と2人で寝ても覚めても冷麺作りに打ち込んだ。「そば粉とでんぷんを分量分合わせてね。工夫に工夫を重ねて、もう限りない失敗を積んで、やっと今の味になったよ」。その手順はこうだ。 「粉をよく練って、鉄の筒に入れて、上から押し出して、大釜で茹でて、水洗いして。注文があるたび、粉を練って作ります。ちょっと置いといても、のびてダメになるから…」 58年前、長田に店を出す前は、自宅に客を招いて冷麺を出した。まず、釜に薪で火を入れるところから始まったので、お客も待つ時間が長かった。それでも、客は懐かしい平壌冷麺の味を求めて長蛇の列を作った。 43年、33歳の頃だった。やはり評判を聞いた故郷の人たちが、遠く大阪や和歌山の方からも飛んできた。 「珍しくてね。今は機械で押し出すけど、平壌から取り寄せた筒だと自分の体重をかけて、ともかく力が要って。男手がない時は、お客さんに手伝ってもらった。みんな冷麺食べたいから必死だったね」(笑) 長田に神戸で初めての「元祖・平壌冷麺屋」の看板を掲げたのはまもなくだった。長男がやはり同郷の女性と結婚、商売も順風満帆だった。突然の不幸が襲ったのは、その後。夫が57歳で亡くなったのだ。 「泣く暇もないよ。まだ、小学生の子供もいたしね。子供たちもまだまだ半人前。その責任がズッシリと肩にあったから、涙を流すゆとりがなかった」 亡き夫の代わりに5人の孝行息子が残された。長男のつれあいの金栄善さん(71)。この家に嫁いですでに50年の歳月が流れた。「よく働くハルモニですから、嫁は大変よ」と茶目っ気たっぷりに話す。「ハルモニの後ろ姿を見て、この家の者はみんな働き者になった。孫が19人、曾孫も22人に増えたけど、みんなハルモニを一番大切に考え、心から愛しています」と語る。栄善さんも、次男のつれあい文春子さんも今では夫に先立たれたが、ハルモニと同居しながら、実の母娘のようにむつまじく暮らしている。 「ハルモニは仕事の鬼と呼んでもいい。91歳の今でも、ムルキムチの大根を刻み、白菜を切る。そして、ナムルを作って、ゴマを炒って、擦る。店の分だから量も多い。そろそろゆっくり休んでと思って誰かが代わってやると、機嫌が悪くなってダメなんです」。今春、骨折して入院した時も「たいくつだから、病院にネギを持って来て」と息子に命じたと言う。6年前の大震災の時には、店が半壊してもケロッとして、隣近所に分けるキムチ作りに精を出して、衝撃から立ち直れないでいた家族や周囲の人々を力強く励ましたのだった。 骨折する前まで、店と家の経理も握り、あらゆることに精通し、掌握していた。だからこそ、願っていたとおり、今では息子5人分の5店舗を神戸市内に持つようにまでなったのだ。 さて、麺と合わせて極上のスープの決め手は。「このスープは3日先を見て、大根や白菜を漬け込む。その汁に肉のスープを足したのが基本。漬物の汁は発酵しているから酸味があって、これが味の決め手。放っておくと発酵が進んでしまうから、漬物の瓶からいつあげるかが肝心」だと全さん。 店を構えて約60年。3代目、4代目の新顔のお客さんも必ず、店の奥の決まった場所にチョコンと座る全さんに握手して帰る。「辛抱強くて、愚痴一つこぼさず、店はお客さんが育ててくれた、いつも感謝の気持ちを忘れるなと諭すハルモニが大好きです」と語るのは、孫の張一成さん(31)。来月にはまもなく2人目の子が生まれる。ハルモニにとって23人目の曾孫だ。 齢を重ねていつの間にか小さくなった体。しかし、幾千回、幾万回、果てしなく粉を練って、麺を作ったその手の大きいこと! 大きな手と腕こそは、祖国の伝統的な味と大家族を守り抜いた細腕繁盛記の象徴である。(朴日粉記者) |