ウリマル、風習知るのが大事
2人の子どもを千葉初中に編入させた金龍哲さん
千葉市に住む金龍哲(37)・貴子(36)夫妻は、長男の潤くん(初6)と次男祥悟くん(初4)を6月、日本学校から千葉朝鮮初中級学校に編入させた。「ウリハッキョは、子どもがすくすくと素直に育つ環境がある。子どもたちのウリマルを話す姿はとても可愛い」と金夫妻は語る。
◇ ◇ 「いずれはウリハッキョに送ろうと思っていたんです。6年1カ月目にしてようやく決断できました」と語る龍哲さん。 ウリハッキョは、日本学校に比べて教育費がかかるということもあるが、それよりも次男がぜん息気味だったことが、ためらう原因だった。自宅からハッキョまでは、ラッシュ時間帯に電車を2回乗り換えなければならず、子どもの体のことが心配だったという。彼の体力がある程度ついたところで、中級部から長男と2人同時にウリハッキョに送るつもりでいた。 そんな龍哲さんの考えが変わったのは、朝青千葉・朝銀支部本店班が週1回運営する青年学校に通わせたことがきっかけだ。また、龍哲さん自身の体験も少なからず関係している。 ◇ ◇ 青年学校では、野菜や乗り物などウリマルの単語の読み書きを学んだ。同時に、ウリハッキョでのサークル活動などを耳にし、潤くん兄弟は「楽しそう。早くウリハッキョに通いたいと思った」と話す。喜ぶ子どもたちの姿を目のあたりにして、龍哲さんは大いに悩んだ。 そして、千葉初中・中級部1年の途中、日本学校に転校するようになった自分自身のことを思い出した。日本学校への転校は、民族教育よりも日本の教育を受けた方が日本社会に受け入れられ、就職にも有利という龍哲さんのアボジの判断からだった。 「アボジの意思をオモニから伝えられた時、反対できなかった。寂しさを抑えることができず、ハッキョを離れる時にはトンムたちに手紙を送り別れを惜しんだ」と振り返る。 龍哲さんは日本学校卒業後、塗装関係の仕事についたものの、アボジの言うほど就職には有利ではなかったという。わずかなお金を一生懸命貯めて20歳で独立。現在は住宅総合リフォーム業を営む。それまでの過程を振り返って龍哲さんは、「チョソンサラムの誇りを持って努力してこそ、日本社会にも受け入れられる。その土俵が民族教育にあったことを思い知った」と語る。 そうした思いと、子どもたちの意思を尊重し、予定より早くウリハッキョに編入させることを決断した。 ◇ ◇ 「2人はすでに学校生活に溶け込んでおり、とてもやんちゃでクラスの人気者」(潤くんの担任で少年団指導員の金昌生教員)。 教室には、1日も早くウリマルを覚えられるようにと、「祥悟コーナー」(朝鮮語文章の翻訳など)が設けられ、本人たちもトンムたちとの会話がスムーズにできるよう努力している。 龍哲さんは、「子どもたちが家に帰ってきて『ハッキョ楽しかったよ』と語り、ウリマルと民族の風習を習得していってくれることが何よりもうれしい。人を思いやる気持ちも増した。父の日に『아버지에게(アボジエゲ=アボジに)』という感想文をもらった時はジーンときました」と語る。 子どもたちのサッカーの試合応援など、龍哲さんがハッキョに顔を出す機会も増えた。家庭の中も「以前より明るくなった」と喜んでいる。(羅基哲記者) |