あの時、このひと言


 「先生に『朝鮮のイルムで呼んでください』といって、日本語の名前では返事をしなかった。先生がしょうがなく『金さん』と呼んでも返事をせず、『キン・ケファ』と言ったら『イェ』と答えた。そこで『イェじゃなくてハイといいなさい』といわれても絶対言わなかった」(1948年の日本当局による朝鮮学校閉鎖令によって日本学校で学ぶことになった金桂和さん。朝鮮人ばかりのクラスができたという)

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 「民族の分断の痛みを誰よりも切実に感じている元海外同胞2世として、祖国統一の曲を作るのは、私の一生のテーマです」(41年ぶりに日本を訪問し、東京で開かれた第29回音楽評議会総会に参加した朝鮮民族音楽委員会代表団の李旱雨さん)

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 「最高時速230`で走るだけに、一瞬の判断が危険を招いたり、勝敗を決める。それだけに、自分が当初考えたようなレース運びが出来た時が何よりもうれしい。F1レースに出場し、勝利することが目標です」(ウィンズレーシングチームに所属する金太景さん)

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