ウリ民族の姓氏−その由来と現在(12)

小説に現れた朝鮮文字の姓

起源と変遷(10)

朴春日


 1392年7月、高麗の恭譲王(コンヤンワン)を退位させた李成桂(リ・ソンゲ)は、自ら王位に就いて国号を「朝鮮」と改め、その翌年、首都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン)へと移した。

 以来約500年、朝鮮王朝(李朝)は儒教的統治理念に基づく封建支配体制を維持したが、姓氏を持つというすう勢はさらに加速されていった。

 それはまず、李朝政府が初期から積極的な良人(リャンイン)拡大政策をとり、前代には最下層の身分であった奴婢(ノビ)らも良人層に含めていく施策をとったからである。

 当時のわが国の人口は、約500万人と推定されているが、李朝政府は王族を別格として、全住民を法制的に良人と賎民(チョンミン)に大別し、良人層には両班・中人(下級官吏)・常民(農民・工人・商人)らを含め、賎民層には奴婢・白丁(ペクチョン)・芸人・巫女・娼妓らを含めていた。

 しかし、このような身分制は流動的で、たとえ農民の息子であっても、科挙に及第すれば両班になることができ、逆に両班の息子であっても、科挙に落第すれば常民になる場合もあった。

 つぎに、こうした身分制の変動は、姓氏の重要性をより高めていったが、それをさらに全国的なものへと発展させたのは、李朝第4代の王・世宗25(1443)年に創製された、わが民族の優れた表音文字―「訓民正音」の普及である。

 この新しい民族文字は、檀君朝鮮時代の「神誌文字」を淵源とし、それを創造的に発展させた文字として、わが国の文字生活に新紀元をきり開いた。

 いうまでもなく、従来の吏読(リドゥ)と漢文は主に支配階層によって利用され、広範な平民層にはきわめて縁遠い存在であった。しかし「訓民正音」の普及によって、一般平民層の文字生活は「조선글(チョソンクル=朝鮮文字)」へと大きく転換したのである。

 それは何よりも、自分の姓名を「조선글」で書くことに現れたであろうが、その推移を具体的に示したのは国文小説の出現であった。

 周知のように、わが国最初の国文小説は許ギュン★(ギュンは竹かんむりに均)(ホ・ギュン)の「洪吉童伝」(1609〜1612?)であるが、ここには題名どおりの「홍길동」(ホンギルトン)という神出鬼没の主人公が登場し、農民蜂起軍を率いて理想の国を建てる話が語られている。

 同じく国文小説「春香伝」の「성춘향 (ソンチュニャン=成春香)」、「沈清伝」の「심청(シムチョン=沈清)」など、多くの読者の紅涙をしぼった名作の登場人物は、すべて朝鮮文字による姓名を名乗り、生き生きと描写されたのである。

 むろん反動もあった。支配層の一部は相変わらず漢文を「真書」と呼んで崇拝し、国文を「諺文」と読んでべっ視したりしたが、時代の潮流には逆らえなかった。

 こうして、わが国では李朝末期まで、国文と吏読と漢文という3種の文字生活が続くのである。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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